民鉄の覇者 東京急行電鉄 6、武蔵電気鉄道 | 犬と楽器と鉄道模型

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1920(大正9)年、こんな官僚生活も10年目を迎えた五島に転機が訪れた。
第一次大戦後の好景気を反映し、実業界での成功を夢見て様々の分野で官から民に移る者が続出していた。
 
明治43年に設立された武蔵電気鉄道は、東京渋谷~横浜平沼橋間、調布村~蒲田間等、多くの計画路線の免許を取得していた。
だが、経営難から一向に鉄道建設が出来なかった。
要はペーパ-カンパニ-に近い存在だったのである。
 
大正9年、その再建に乗り出したのが渋澤栄一に次ぐ実業界の大物、郷誠之助。
郷は鉄道建設の為にどうしても専門の常務が欲しいと、石丸鉄道次官へ頼みに行った所、
「今、監督局の総務課長に五島慶太と言う男がいる。
非常に面白い奴で、課長心得が気に入らないから、いつも心得という字を消しては判を押して出してくる」
 
「それは面白い、その人を欲しい」と言う事になった。
 
 
 
郷誠之助 1865-1942 Wikipediaより】
 
役人生活に飽き飽きしていた五島は渡りに舟とばかりに武蔵電鉄にやって来たのだが・・・
鉄道建設所か倒産の一歩手前状態。

思わず目を覆いたくなる様な有様な為、推薦した石丸に文句を言ったが、すかさず石丸に返された。

「だ・か・ら・君に頼んだんじゃないか」と・・・
これで五島が納得してしまう所が面白い。
 
 
 
(次回は小林、矢野との出会いです)
 
 
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この記事は2014-01-24
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