岩瀬文庫までいって弥生時代のはなしをきいてきた - 2019年8月18日

2019.8.18 (10) 西尾 - しんあんじょういきふつう 1990-1500

きょう2019年8月18日、岩瀬文庫開催の西尾市史講座第2回「弥生時代の西尾」っていう講演があって、はなしをきいてきた。

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2019.8.18 (1) ふるい - 西尾いきふつう 2000-1500

ふるい12時46分の西尾いきふつうにのる。あっかい電車は6825編成2両の6800系きんぎょばち。乗客は座席に3わりで、みなみにすすんでいく。

2019.8.18 (2) 西尾いきふつう - 桜井すぎ(しんあんじょういきふつう) 2000-1500

桜井すぎであっかい電車とすれちがい。2両編成の6000系統鉄仮面はしんあんじょういきふつう。

2019.8.18 (3) 西尾いきふつう - 矢作川をわたる 1600-1200

あんじょうしの区域から西尾市の区域にはいって、矢作川をわたる。

2019.8.18 (4) 西尾いきふつう - 桜町前 1600-1200

みぎかためんホームの桜町前に停車。急行停車駅だけあってなんにんかがおりるだけど、ホームにまっとったひとたちはほとんどのってこん。終点の西尾でこの電車といきちがいにしゅっぱつする佐屋いき急行がくるのをまっとるだ。

2019.8.18 (5) 西尾いきふつう - 西尾口 1600-1200

高架をあがって、12時58分、みぎかためんホームの西尾口にとうちゃく。下車。いつも閑散としとる印象のつよいえきだけど、筆者以外にもけっこうなんにんかおりる。地平のかいさつをでたとこの自販機でペットボトルをかって、にしにむかってあるく。炎天対策にジェフ帽もかぶっていく。道光寺南交差点をわたるとこで、てまえみぎにMIC三浦印刷の円筒形ガラスばりビルをみる。ずーっと市街地のなかのおおきなとおりをあるいていくだけど、たてもんはとびとびにしかなくて、たまにひかげにはいれるだけだ。みぎに西尾鶴城郵便局をみる。ふたつめのおがわをこえたとこで、とおりはのぼりざかになる。もともとの西尾のまちは台地のうえにあるだ。ひだりにまがると肴町どおりにいくっていうとこの信号交差点で、むこうがわひだりのかどに秋葉神社。おもしろいことにほこらが交差点の中心にむかってたっとる。しきちないでは45度の角度でななめにたっとるだ。またすぐに信号交差点があって、これを左折。おおどおりをみなみにはいる。左右は住宅街だけどおひさんのむきからしてひかげもなく、からだからたまのあせがしたたりおちる。ちょこっといったとこの信号のない交差点を右折。にしにはいる。左右は住宅街だけど、みちの左右にいろつきタイル舗装の歩道がついとる。岩瀬文庫のまえのみちだでだ。すぐにみぎに岩瀬文庫

岩瀬文庫は地下1階の研修ホールが講演会場。からだからあせがふきだしとる状態で会場にはいる。満席だ。かろうじてあいとった最前列の1席をおしえてもらって、すわる。つくえなしで補助いすにすわっとるひともおおい。弥生時代のはなしなんていう地味なはなしでもこんなにひとがあつまるのか。

2019.8.18 (6) 岩瀬文庫 - 西尾市史講座「弥生時代の西尾」 2000-1500 2019.8.18 (7) 西尾市史講座「弥生時代の西尾」 - あいさつ 1200-900

午后1時半、はじまり。岩瀬文庫を管轄する西尾市文化振興課のひとからあいさつがあって、さいしょに前半の部として、南山大学人文学部黒沢浩さんから「三河に稲作がつたわったころ」っていう題で講演。黒沢さんは1961年うまれで58才。筆者よりちょこっとわかい。講演の概要はつぎのとおり。

弥生時代に稲作がはじまったじゃなくて、稲作がはじまったときが弥生時代だ。いねはにほんには自生せんくて、長江下流域からきたもんだ。稲作伝来には、きたまわりに朝鮮半島を経由の経路、直接東シナ海をわたってくる経路、みなみまわりに南西諸島づたいにくる経路のみっつがかんがえれるだけど、朝鮮半島経由が有力。これまで弥生時代のはじまりは紀元前400年ってかんがえられとったけど、さいきんになって紀元前1000年までさかのぼることがわかった。西尾市内のおおきな弥生遺跡として岡島遺跡がある。ばしょは西尾東インターからきたのあいちリハビリテーションセンターのあるへん。

2019.8.18 (8) 西尾市史講座「弥生時代の西尾」 - 鈴木とよ江さん 1200-900 2019.8.18 (9) 西尾市史講座「弥生時代の西尾」 - 地形図 1380-1080

きゅうけいをはさんで后半の部は午后2時45分から。講師は西尾市文化振興課課長補佐の鈴木とよ江さんで、「弥生時代集落をみつめる」っていう題で講演。講演の概要はつぎのとおり。

三河全体として有名な弥生遺跡は豊橋の瓜郷遺跡(うりごういせき)。時代は紀元前2世紀以前。西尾市内のおもな弥生時代遺跡はつぎのとおり。矢作川がつくりだした平野にあるもんとして、岡島遺跡と、あんじょう市内になるけど古井遺跡ほかの鹿乗川流域遺跡群。平野をのぞむたかだいにあるもんとして、東浅井丘陵、八ツ面山西南麓、岡山丘陵、幡豆の上畑山。八ツ面山西南麓は西尾鉄道がとおっとったとこでもあり、岩瀬文庫にもいくつかの遺物を収蔵しとる。西尾鉄道も岩瀬文庫におなじく岩瀬弥助がつくったもん。

東浅井丘陵、八ツ面山西南麓、岡山丘陵のみっつについては、スライド映写しながらのくわしい説明をうける。いや、弥生遺跡ってたんぼんなかにあるもんだっておもっとっただけに、たかだいにもあるとはおどろきだ。なかでも東浅井丘陵は筆者もおとずれたことがある。平野のなかにぽっかりうかんだ丘陵で、ほんなとこに人家があることにおどろいてきただけど、ほこに弥生遺跡があったとはさらにおどろきだ。あと、スライド映写のなかでシームレス地質図ってのがつかわれとっただけど、鈴木さんもほめとったとおりで、ほのわかりやすさに感心した。


(さんこう)

  • 乗車記録 - 2019年8月18日、にちようび
    • いき
      • ふるい 12:46 → (西尾いきふつう) → 12:58 西尾口
        〔8.5km、12分、42.5km/h、300円〕
    • かえり
      • 西尾口 16:28 → (西尾いきふつう) → 16:30 西尾
        〔0.8km、2分、24.0km/h、170円〕
      • 西尾 16:41 → (しんあんじょういきふつう) → 16:55 ふるい
        〔9.3km、14分、39.9km/h、300円〕
  • あざいのやま - あきひこのいいたいほうだい|2017/05/08
    • あんじょうから小川橋をわたって矢作川をこえて、ほのままたんぼんなかを東南方向にすすんだみぎがわに浅井(あざい)っていうとこがある。まっとまっすぐいくと、中島のまちをぬけて、中島橋をわたって広田川をこえて、おかをあがってデンソー西尾製作所へとつながる。
    • あんじょうから中島橋をわたるまでは、ずーっと田園風景がひろがる。おたうえまつりで有名な六ツ美の悠紀斎田(ゆきさいでん)も中島にある。矢作川の右岸も左岸もこんなにまったいらな地形なのに、どういうわけか浅井にはやまがある。浅井のむら自体は平地にあるだけど、むらにとなりあわせてやまがあるだ。いったいほこになにがあるのか。いっかいいってみたかったこのやまに、ついにいく機会をえた。中島橋東南にある我流っていう讃岐うどんのみせでカルボナーラ雑炊にしたつづみをうったあと、浅井のやまによった。
  • 20万分の1日本シームレス地質図V2