休みを利用して、大分県玖珠町にある「豊後森(ぶんごもり)機関庫」を訪ねました。
1934(昭和9)年の久大本線全通とともに「豊後森駅」に設置され、1971(昭和46)年に廃止された扇形機関庫です。
機関庫の全景。
全盛期には、12本の線路が機関庫に繋がっていました。
青空と芝がいいですね。
とても丁寧な案内看板が設置されています。
読みふけってしまいました。
2009(平成21)年に、機関庫及び転車台が「旧豊後森機関区の関連遺産」として近代化産業遺産に認定されました。
機関庫の周辺は、公園として整備されています。
この機関庫には「9600形蒸気機関車(29612号機)」が静態保存されています。
福岡県の志免町に保存されていた機関車ですが、製造 100年を前に老朽化して解体される運命にあったところ、この玖珠町に譲渡されたとのことです。
扇形機関庫もそうですが、地元による熱意が保存活動の支えになっているのですね。
1919(大正8)年製造ですから、今年で 100歳となった「29612号機」の勇姿。
傷みが激しく、解体寸前だった本機は、「直方汽車倶楽部」の方々によって補修されたそうです。
フロントビュー。
狭軌ですから、線路幅と車体幅の差に改めて驚きます。
サイドビュー。
とても模型的なアングルです。
思った以上に動輪が小さく感じました。
黒々とした艶が、とても美しい。
「9600形」は、Nゲージ鉄道模型ではマイクロエースとKATOが模型化しているようですね。
ちょっと欲しくなりました。
(^_^;ゞ
後方から。
キャブ付近。
火が入れば走り出しそうに思えるほど、美しい姿で保存されています。
保管には屋根がある方が良いのかもしれませんが、青空の下に置かれた機関車は、開放的でのびのびとして見えます
幸せな余生を送って欲しいですね。
扇形機関庫。
頭上が危険なためでしょう、中には入れなくなっています。
転車台。
実際に回転可能なように修復されています。
扇形機関庫を、外から。
外周にも通路が整備されており、機関庫を外から見て回ることができます。
コンクリートの外壁に残る、機銃掃射の跡。
戦時中は軍事物資の輸送拠点とされていたためか、豊後森機関庫は終戦直前の 1945(昭和20)年8月4日、米軍機によって機銃掃射を受け、職員2人が亡くなったそうです。
しばし黙祷。
2015(平成27)年には、公園内に「豊後森機関庫ミュージアム」が開館しました。
乗車可能なミニトレインも運行されています。
団体さんが観光バスで訪れましたが、あっという間に立ち去っていきました。
留置線に停まっているのは、かつて配置されていた「キハ07形」でしょうか。
ミニトレインにも転車台がありましたよ。
公園内を散策していると、豊後森駅に「ゆふいんの森(キハ72系)」が5両編成で到着。
「豊後森機関庫」は、とても静かな環境にあります。
往時の写真を見ると、豊後森は、かつては鉄道城下町として大変賑わっていたのが伝わって来ます。
1934(昭和9)年の久大本線全通とともに「豊後森駅」に設置され、1971(昭和46)年に廃止された扇形機関庫です。
機関庫の全景。
全盛期には、12本の線路が機関庫に繋がっていました。
青空と芝がいいですね。
とても丁寧な案内看板が設置されています。
読みふけってしまいました。
2009(平成21)年に、機関庫及び転車台が「旧豊後森機関区の関連遺産」として近代化産業遺産に認定されました。
機関庫の周辺は、公園として整備されています。
この機関庫には「9600形蒸気機関車(29612号機)」が静態保存されています。
福岡県の志免町に保存されていた機関車ですが、製造 100年を前に老朽化して解体される運命にあったところ、この玖珠町に譲渡されたとのことです。
扇形機関庫もそうですが、地元による熱意が保存活動の支えになっているのですね。
1919(大正8)年製造ですから、今年で 100歳となった「29612号機」の勇姿。
傷みが激しく、解体寸前だった本機は、「直方汽車倶楽部」の方々によって補修されたそうです。
フロントビュー。
狭軌ですから、線路幅と車体幅の差に改めて驚きます。
サイドビュー。
とても模型的なアングルです。
思った以上に動輪が小さく感じました。
黒々とした艶が、とても美しい。
「9600形」は、Nゲージ鉄道模型ではマイクロエースとKATOが模型化しているようですね。
ちょっと欲しくなりました。
(^_^;ゞ
後方から。
キャブ付近。
火が入れば走り出しそうに思えるほど、美しい姿で保存されています。
保管には屋根がある方が良いのかもしれませんが、青空の下に置かれた機関車は、開放的でのびのびとして見えます
幸せな余生を送って欲しいですね。
扇形機関庫。
頭上が危険なためでしょう、中には入れなくなっています。
転車台。
実際に回転可能なように修復されています。
扇形機関庫を、外から。
外周にも通路が整備されており、機関庫を外から見て回ることができます。
コンクリートの外壁に残る、機銃掃射の跡。
戦時中は軍事物資の輸送拠点とされていたためか、豊後森機関庫は終戦直前の 1945(昭和20)年8月4日、米軍機によって機銃掃射を受け、職員2人が亡くなったそうです。
しばし黙祷。
2015(平成27)年には、公園内に「豊後森機関庫ミュージアム」が開館しました。
乗車可能なミニトレインも運行されています。
団体さんが観光バスで訪れましたが、あっという間に立ち去っていきました。
留置線に停まっているのは、かつて配置されていた「キハ07形」でしょうか。
ミニトレインにも転車台がありましたよ。
公園内を散策していると、豊後森駅に「ゆふいんの森(キハ72系)」が5両編成で到着。
「豊後森機関庫」は、とても静かな環境にあります。
往時の写真を見ると、豊後森は、かつては鉄道城下町として大変賑わっていたのが伝わって来ます。
コメント
コメント一覧 (4)
…予算手配がまだ付かずに迷ってますが。横川もそうですが野外の開放感は結構
ですが、次第に傷んでいくのもやるせなくて。どうにかなる資金力も人を動かす
影響力なんざありませんけど…。
余談ながら同機関庫は「ラブライブ!sunshine」のPV「happy party train」では
背景のモチーフになってます。なぜか北海道仕様のC58も出てきた挙句、空を飛ぶ
わ、煙突からパステル調のハートマーク吹き出すわ…。正面のナンバープレートが
スクールアイドルのユニット名に変えてあるは、石炭ではなくキラキラしたものが
積んであるは、件のユニット一同9名?がギュウギュウに運転室に乗り込むは…
スクールアイドルがメインのアニメ作品ゆえ、そこらは気にしては負けでしょう。
伊豆箱根鉄道駿豆線の三島駅、一部時間帯はこの曲をアレンジした発車メロディを
使うそうです。件のPVでは駿豆線電車が内外ともに細かく作り込まれた姿で表現
されてます。学園ドラマっぽいシーンが曲の前後に加えられ、8分半くらいの長さ
です。…どうもサンライズ(作製元)の回し者になってしまいました。
毎度毎度、長々と申し訳ありません。
「豊後森機関庫」は、鉄道と町の歴史を感じることができる、オススメの場所です。
横川や板谷にも、いつか行ってみたいですね。
「happy party train」・・・何と言いますか、凄かったです・・・。
「豊後森機関庫」が舞台なのに、ナゼ故に保存機の「9600形」が登場しないのか?
貨物機という素性に派手さが無いからでしょうか?
謎です(笑)。
ここは栄枯盛衰を感じさせますね。遺跡の趣です。当方がこれまで見た場所だと
旧宇高連絡船の宇野岸壁跡も古代遺跡の港跡の趣でした。高松側は痕跡無しです。
どちらも再開発で当時の施設はほぼ撤去され、駅も微妙に内陸へ移転しました。
街の規模が小さい宇野側は更地が多い印象です。対四国連絡経由地としての役割が
小さくなっているのも否めませんし。
hptの蒸機が北海道仕様のC58だったのは制作スタッフの趣味、ですかね。
あるいは出身地の最寄り保存機だったか。ちゃんと北海道仕様のフロントを描写
しているあたりテキトーにググった、というヌルさはないように思います。
国鉄連絡線も、廃止になって久しいですね。
鉄道の遺構を巡りながら、往時に想いを馳せるのも良い趣味だと思います。
(^_^)