前回の続きです。

再び青森駅へ。コインロッカーの荷物を取り出し、指定席券売機でえきねっと予約の津軽82号の指定券を受け取りますが、ボックスシート車につきシートマップ非対応のため『窓側に限定する』でしか予約していなかったので、どの号車でどの座席位置になるかは発券された指定券を見るまではわかりません。先程津軽81号で乗車したのは1号車のスハフ12だったので、電源エンジンのないオハ12(2~5)号車になるのを期待していたのですが…?

(白塗りしている部分は今回の旅とは無関係)

 

 

受け取った指定券は、81号と同じ1号車のA席。という事は進行方向の逆向きになるワケで、ちょっと残念ですが今回は先頭車で機関車側に近く、窓側で取れたんだからまぁ良いとしましょう。変更も考えましたが、クレジット決済(C制)の券を変更すると赤で元の発券場所などが印字されるため、元の券で乗る事にします。

 

 

ただ、津軽81・82号は指定席の発売当初はすぐ売り切れたのに、運転日が近くなってから空席表示に『』が出るようになりました。これは全車指定席のイベント列車では良くある事なのですが、『』ならともかく『』になる程大量にキャンセルが出るのはいつも不思議に思うのであります…。

 

 

なお、秋田発で夜行運転される83号だけは、えきねっとサイトをいつ見ても全く空席が出ず、予約している秋田のホテルのキャンセルのタイムリミットが迫っていたので、その後にキャンセルが出たとしても乗車は断念せざるを得ませんでした。これだけ直前でキャンセルが出ないという事は、ほとんどの乗客が見知らぬ者同士4人(まぁみんなテツでしょうが)ボックスシートで一夜を過ごすというのは間違いなく、万が一指定券が取れたとしても、そんな状況に耐えられるとは思えませんでしたが… (ちなみに私、ボックスシートの車両の夜行列車経験は小学生の時に一家で乗った函館→札幌の旧客ドン行41レと、その数年後に快速ミッドナイトの自由席キハ56に乗った事がありましたが、あの時は若かったから耐えられたものです)。したがって、翌日は当初の予定通りリゾートしらかみで戻る事になりました。

 

 

指定券受け取り後、改札を抜けて6番線ホームへ向かいます。

 

 

秋田方にED75 767が連結された津軽82号。

やはり、機関車側は撮影者でごった返しており、本当はもうちょっと右に振ったアングルで…と思ったのですが、人物が写り込むためこの画像で勘弁してください。

 

 

先程も述べましたが、82号も1号車の乗車となります。

 

 

コチラは最後尾6号車。やはり標識板が残念ですが…。

 

 

ホームにいるテツの方々は皆撮影とかに夢中で、乗降口には誰も並んでいなかったのですが、15:28位にドアが開き、それに気づいた私は一番乗りで車内に入らせて頂きました。

先程も少しだけ乗りましたが、これこそが本番。この懐かしい車両で令和の時代に昭和と国鉄を思い起こす旅へ出発です!

 

 

12系のボックスシートは、同時期に製造されたキハ65と同じく急行型電車よりも広いシートピッチで、国鉄急行型車両の完成形ともいえるでしょう。キハ40に乗り慣れた私にとってはとても広く感じられます。

 

 

急行型車両なので、ちゃんと窓側にも肘掛けがあるのは嬉しいです。

そしてテーブルは従来の急行型車両よりも大型サイズ。

 

 

今回乗車するスハフ12 161をはじめ、使用される6両全車は1978(昭和53)年製造で12系客車の最終製造グループです。

 

 

これぞまさに国鉄!なアイテムが、この『くずもの入れ』。

 

 

客車の出入り口にはミニヘッドマークを持った女性車掌が出迎えてくれました(肖像権保護のため画像を加工しております)

 

 

いよいよ、16:05の発車時刻となりました。

駅員さんが『またこいへ青森さ』の横断幕を持って見送ります。

 

 

青森、そして次の新青森を発車しましたが、私のBOX席には他に誰も乗ってきませんでした。

断っておきますが、他の3席も急行券を買って独り占めするような事はしておりませんので!!

私が指定券を買えなかった夜行の83号で、1人乗車なのに4人分のBOX席を買い占めたのをツイートして炎上したヲタがいたようですが、私も同じ事をしていると思ってたヤツもいるんだろうな…。

 

 

結局、1つのBOX席で4人フル乗車…というケースは少なく、だいたい2~3人で1BOXというパターンが多かったです。

他の車両も見て廻りましたが、1人1BOXというのは私だけではなく、1車両1つか2つはあったように思われます。

 

 

新青森発車後、乗務員の手によって乗車記念証が配られました。

デザイン的には同一モチーフですが、81・82・83号と背景が異なっており、82号は岩木山をバックにした夕景となっていました。

残念ながら81号のは終着間際だったので貰う事ができませんでした…。

 

 

4分停車の浪岡を出ると、青森県区間の車窓のハイライトである岩木山が見えてきます。

(乗車中の車窓からの画像は、全て進行方向右側からです)

 

 

岩木山が見える水田地帯にはかなり多くの撮り鉄が繰り出しており、畦道には彼らのクルマが所狭しと並んでおりました。

ただ、光線の関係その他で岩木山をバックにしては撮らず。

 

 

この辺りで車掌から12系客車の解説アナウンスが流れます。

古い客車の代替、冷房装置と自動ドアの採用、その後の客車の基本となった車両…などについて述べられていましたが、12系誕生のきっかけの一つでもある大阪万博輸送について語られていなかったのが惜しい!

 

その後弘前、大鰐温泉と停車し、碇ヶ関を経てSL時代の難所だった矢立峠へ。

複線電化を機に新線に切り替えられ、長大の矢立トンネルで一気に抜けてしまいます。

抜けると秋田県側に入り、秋田杉の林の中を駆け抜けますが、花粉症の人は春にこんな処は通りたくないでしょうね…。

 

 

その秋田県側に入ったタイミングで、『ハイケンスのセレナーデ』チャイムが流れ、車内放送で急行津軽についての解説がありました。

急行津軽といえば『出世列車』として有名ですが、東北各地の農村から集団就職で東京に出た者が、津軽の1等寝台(A寝台)に乗って帰省する事が成功者の証だったというのがその所以だそうです。

今回乗車した津軽82号のスジは、かつて実際に12系で運用されていた当時の2号に近く、その12系末期である1982年11月以前(同年6月改正)のダイヤだと青森15:50発→秋田19:02着で、その先は夜行運転となり、板谷峠を越え福島を経て上野には6:05の到着となっていました。

奥羽線経由で長らく上野~青森を結んでいた夜行急行津軽も、晩年は583系や485系で電車化され、1993年には定期運行を終了しました。

津軽といえばこんなエピソードも。ゴジラ映画3作目の『キングコング対ゴジラ』(1962年)で『こだま型』151系電車が『急行津軽』として登場し、ゴジラに破壊されてしまうのですが、実在の列車とは違うというツッコミはともかくとして、当時から国鉄の急行列車が特急型並みのグレードだったら、今もJR線上に定期急行が走っていたかもしれませんね。

 

 

ここで新旧津軽の出会いが!

上下線が大きく離れる陣場~白沢でE751系の特急つがる5号とすれ違います。

 

 

秋田県側は大舘、鷹ノ巣と停車し、次の二ツ井の先で米代川を渡ります。18時を過ぎて、陽もだいぶ沈んできました。

そういえば、かつて秋田発着で花輪線に直通していたキハ58系の急行『よねしろ』という列車がありましたね…。

 

 

夕陽に包まれた東能代駅は18:29着。ここから先の奥羽本線は私にとって初めて乗る区間となります。

翌日に乗る五能線の分岐駅ですが、この日に同線に乗っていれば素晴らしい夕景が見られた事でしょう。

 

 

次の森岳を過ぎると、日本最大の干拓地・八郎潟の近くを走行します。

ああ、何て美しい夕景なんだろう!雨さえ降らなければ良いと思っていたので、何とかお天気に恵まれて本当に良かったです。

 

 

そして、遠く男鹿半島にそびえる寒風山が見えてきます。

 

 

ついに最後の途中停車駅・八郎潟まで来ました。急行津軽82号の旅もあと30分足らず。

結局、最後まで私のBOX席には他の3席の指定券の持ち主は現れませんでした。結果的に私1人でBOX席を独占できてラッキーだったのですが、せっかく空いていたなら初めから進行方向に向いたD席に座っていれば良かったかも。

 

 

八郎潟を出て、さらに水田地帯を走った後は住宅が増え始め、秋田のベッドタウンの様相となります。

きれいな夕焼けが旅のフィナーレを彩ってくれました。

 

 

19:29、完全に陽が暮れた秋田駅に到着。名残惜しいですが、3時間弱のタイムトラベルが終わってしまいました。

やはりホームは撮影者で溢れ返り、青森駅とは打って変わって撮影マナーの悪い撮り鉄を注意する駅員の声が響いていました。

 

 

乗客を降ろした津軽82号の車両は、19:40頃(?)に秋田車両センターへ回送するため出発していきました。

そして再び、22:30発の夜行列車・津軽83号として再び青森へと向かいます…。

 

 

改札を抜けると、コンコースには大きな『なまはげ』の面が。

 

 

秋田駅の東口。

元々は西口に駅舎がありましたが、近年の橋上駅化によって東口も再開発されています。

 

 

秋田の宿は、駅直結の再開発ビル・秋田拠点センターアルヴェ内にある『東横イン秋田駅東口』。

宿探しには大変苦労し、27日は急行津軽運転に関連してなのか市内のホテルは軒並み満室で、唯一空室のあった『帽子のオバチャン』のホテルチェーンは1泊素泊まりで3万なにがしという超ボッタクリ価格なので泊まる気にはなれず、価格変動が少なく良心的な東横インに空室が出たタイミングで即予約しました。

 

 

当初の予定では、秋田を出る津軽83号を駅で見送ろうと思っていたのですが、82号の乗車で満足したのと、翌日も早朝から出発するため体力を温存する必要があるので敢えて外出せず、ホテルで休養する事にしました。

急行津軽に乗車するという最大の目的を果たした私は、あとは札幌へ『返却回送』するだけなのですが、同じルートをそのまま辿る(ロングシートの701系はマジ勘弁!)のもツマラナイので、男鹿線をキハ40系で1往復した後、リゾートしらかみに乗り五能線経由で北上する事にしました。

 

以下、次回へつづく。