民鉄の覇者 東京急行電鉄 3、荏原電気鉄道 | 犬と楽器と鉄道模型

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田園都市会社。
しかしこの会社、実業界No1である渋沢栄一が直接指揮している会社だけあって中々に抜目が無い。
 
田園都市会社は荏原電気鉄道(後に目黒蒲田鉄道に改組)を設立し、宅地を売り出すだけではなく、そこに交通手段も併せて考えていたのである。
 
荏原電気鉄道は更に、宅地開発に先駆けて東海道線大井町駅から調布村に至る路線(大井町線の基となる)の出願を申請。
これは大正9年3月には免許が下りた。
 
大正10年2月には都心への交通の足として田園調布から大田区の洗足を通り、今の山手線目黒へ至る支線(目蒲線の一部)免許も取得する。
しかし、廻りは鉄道に関しては素人ばかりでさっぱり上手く行かなかった。
 
その上、肝心の鉄道建設が第一次世界大戦後(大正7年に終結)の経済不況に遭って工事は遅々として進まず、開通の目途さえ立たない有様であった。
こんな状況であった為、渋沢は第一生命の矢野恒太に援助をお願いしたのである。
 
当時、第一生命は創立15年程であったが、生保事業が成功していた。
早速、田園都市会社の筆頭株主を引き受け、資金援助に乗り出した。
が、矢野も鉄道に関しては、
「素人の事なので困っている」
と、同会社に居る和田豊治に相談した。
 
【和田豊治 1861-1924 Wikipediaより】

和田からは、
「小林一三という男が大阪におって、宝塚とか箕面とかあの辺の土地を買って、田園都市を開き、電車をやって成功している。
君、あれに相談したまえ」

と、推薦を受けた。
 
そこで矢野は、わざわざ下坂し、関西で箕面有馬電気軌道の再建と沿線の宅地開発で成功していた小林一三を訪ね、経営を引き受けてくれる様に助力を懇願する。
 
(次回は小林一三です)
 
 
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この記事は2014-01-16
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