2019年6月いつか、三河知立(みかわちりゅう)にいってきた。知立で名古屋本線から三河線にのりかえてさいしょのえきが三河知立になるだけど、1915年、三河線の前身、三河鉄道が刈谷から延伸してここまできたとき、まんだ名古屋本線はかげもかたちもなかった。三河鉄道はこっからさらにきたに豊田市、猿投(さなげ)、西中金(にしなかがね)へと延伸して、三河知立は拠点駅として発展をつづける。しばらく知立市の代表駅でもあった。1923年に名鉄の前身、愛知電鉄により名古屋本線が開業したあとも、貨物輸送のために三河知立から分岐して名古屋本線につながる知立連絡線がつくられたぐらいだ。ところで、2023年度に完成する知立駅高架工事にあわせて、この三河知立駅が消滅することになった。ほのことをおしむきもちもあって、こんかいいってきた。また、えきまえに往時の繁栄をしのばせるようなたてもんも発見した。
◇ ◇
ふるい10時55分のしんあんじょういきふつうにのる。あっかい電車は2両編成の6800系統きんぎょばち。
きたにすすんで、10時57分、みなみあんじょうにとうちゃく。下車。
朝日町どおりをにしにあるいて、アクトスでひとあせ。また、朝日町どおりをにしにあるいて、こねこっていう喫茶店でひるごはん。チキンカツ定食。
はらごしらえができたとこで、JRあんじょうえき13時26分のしんあんじょういきバスにのる。
アンフォーレバス停に停車。
きたにすすんで、今池バス停てまえではんたいの更生病院いきバスとすれちがい。
定刻の13時38分より3分おくれて、しんあんじょうはみなみぐちにとうちゃく。下車。3番のりばにみえるあっかい電車は犬山いきふつう。
電車にのりかえ。4番のりばにきた、しんあんじょう13時42分の岐阜いき特急にのる。パノラマスーパー。
にしにすすんで、あっかい電車とすれちがい。豊橋いき急行。
ひだり曲線にはいるとこで、知立連絡線分岐あとをみぎにみる。直進しとったのが知立連絡線だ。
三河線をこえる。
知立のてまえ、線路のみぎがわで高架工事をやっとる。
13時46分、知立は5番のりばにとうちゃく。下車。みぎの6番のりばにとまっとったあっかい電車は、吉良吉田いき急行。
2番のりばに移動。まっとった知立13時50分の猿投(さなげ)いきふつうにのりこむ。あっかい電車は4両編成の6000系かんつうがた。三河線はワンマン運行で、この6000系かんつうがたしかはしってない。
定刻がきて、しゅっぱつ。名古屋本線みなみの複線のみぎがわの線をちょこっとひがしにすすんで、ひだりがわの線に転線。
みぎにまがっていく複線から、ひだりに分岐してひだりにまがっていく単線にはいっていく。みぎにまがっていく複線もおんなじ三河線だけど、みなみに刈谷、碧南方面にいく線だ。三河線は、知立で反転分岐するかたちで南北にのびる。
名古屋本線をくぐる。さっき岐阜いき特急でとおってきた名古屋本線だ。
名古屋本線をくぐってすぐに、しましきホームの三河知立はひだりがわの3番のりばにとうちゃく。下車。13時51分。知立からわずか0.7キロ。
筆者がおりるのといれかわりに、ホームでまっとった高校生らがのりこんでいく。このえきがなくなったら高校生らはどっからのるのかな。知立からのるのか、あるいは、このえきからひがしにはなれたとこにあたらしくできるえきからのるのか。
おりたホームからすぐほこに、名古屋本線をいくあっかい電車がみえる。
はんたいから知立いきふつうが2番のりばにはいってきて、これをまって猿投いきふつうがやっとでていく。
知立いきふつうは、ホームのひがしのほう、知立よりのとこにとまって乗客ののりおりをして、しゅっぱつ。
電車がおらんくなったとこで、ホームうわやをみてみる。年季のはいった木造のうわやだ。3番のりばが豊田市、猿投方面。2番のりばが名古屋方面。知立方面でいいっておもうだけど、名古屋方面ってかいてある。ここも知立だでか。
ところで、乗客がのりおりをするのはしましきホームりょうがわののりばだけなのに、なんで2、3番のりばなのか。
こたえは、しましきホームのみなみがわにあるかためんホームだ。このいしがきづみで、ホーム面の舗装もはがれてくさきがはえとるホームが1番のりばなだ。
1番のりばにはまんだレールものこっとって、知立よりにのびて主線に合流もしとる。
また、豊田市よりは、ホームのはしっこのとこで主線に合流するほか、まっすぐにのびて知立連絡線あとにつながっとる。知立連絡線はほっからみぎにまがって、名古屋本線に合流していっとった。合流点は、岐阜いき特急にのってきたときにみた、あの知立連絡線分岐あとだ。
さて、かいさつをでたとこで、えきのまんまえにふるいたてもんを発見。ひろいしきちのなかに、なかにわをかこむように木造かわらやねのおおきなたてもんがいくつかあるだ。みちに面したがわの中央には、はばのひろい鉄製の門。いや、これまでにもきづいてはおっただけど、こんかいあらためてしっかりみてみる。
門のひだりに、みちに面してたてもんがひとつ。これだけがそとむきにたっとるたてもんだ。
しきちひだりがわのみちをおくにはいっていってみる。
きたどなりのしきちとのさかいから、おくのたてもんのきたがわ壁面をみてみる。くろぬりのいたの外壁に、たてながの洋式のまど。なつかしいかんじだ。
ぐるってまわって、しきちの東北がわにまわったとこで、あきちがあって、ほっからおくのたてもんをひがしがわからみてみる。
さらにちかづいて、すきまから門のみぎにあるたてもんのひがしがわ壁面をみてみる。これも、おくのたてもんのきたがわ壁面におんなじ。
みおわってえきにもどったとこで、このたてもんがなんなのか知立市役所にといあわせてみると、「住宅地図でみて、名古屋椅子工業の倉庫だ」ってこたえてくれる。いや、ほんなことか。こんどは知立市歴史民俗資料館にといあわせてみると、「丸碧(まるへき)の農業倉庫だった」ってこたえてくれる。丸碧ってのは碧海郡購買販売利用組合連合会のことだ。戦前、農都っていわれて繁栄したあんじょうに本拠地をおいて、碧海郡で生産するこめや鶏卵の共同販売をおこなった団体だ。碧海郡は、あんじょうし、知立市、刈谷市、高浜市、碧南市の5市全域のほか、豊田市のうちの上郷地区と高岡地区、岡崎市のうちの矢作地区と六ッ美地区、西尾市のうちの米津地区をくわえたひろい区域だ。いや、ひょっとして丸碧による共同販売と三河鉄道による貨物輸送と、往時は関係があったのかもしれん。これを宿題として、かえりの電車にのる。
(さんこう)
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