ほんの今まで見てたんですが、今回のNHK「日本人のおなまえっ!」、面白かったですね~!!。
最近の鉄道トレンド番組には引っ張りだこの玲奈ちゃんも出てましたしねー。なんか、また、女っぷりが上がったように思えます~。
まあ、それはさておき、今回は、「「撮り鉄」「乗り鉄」など独特な鉄道文化が花開いている日本。日本人はなぜ鉄道を愛するのか?調べてみると「名前の力」で日本に鉄道が浸透していったことが明らかに!」、というテーマでしたがそれならうちの「鉄」はじめ、はと思いつきまして、ならやっぱあれじゃん!!、ということで。
1921~1925年(大正11~14年)撮影
東海道本線?六郷川橋梁 59628
この写真、見る人が見ると結構ヤバイ写真だとか。多分、ウチの爺さんが撮った写真と推定されるのですが、詳細は不明なのです。
※追記:59628は大正11年製と言うことがわかりましたので修正追記しました。
※追追記:国府津電化が大正14年末ですから、この鉄橋が川崎六郷川橋梁とすると、架線柱が建っていませんので、大正12~13年頃という仮説も成り立つかと。つい最近まで大森にこの国府津電化時の架線柱が現存していました↓が、今はありません。
https://ameblo.jp/kamesansgameblo/entry-12468490761.html
ただ、列車線の鉄橋の形と隣の電化線の位置関係、列車線が電化されていないことから六郷川橋梁ではと思ってるんですが・・・。
※ちなみにこの鉄橋は今はありません。橋台だけ残ってます。現行鉄橋は下流側に架け替えられています。両線は今はこんなに隣り合ってはいないはずです。なお、京浜線(京浜東北線)の橋は場所移動していないようです。グーグルマップの場所です↓。
https://goo.gl/maps/YvXxgi5uZKEeEM9YA
で機関車は59628、言わずと知れた当時最新鋭の貨物用蒸気機関車キューロクです。それでもうお分かりの事と思われますが、連結器がなんとブァッファ&リンクの連環式連結器ですから、連結器が自連になるまえ、少なくとも大正14年以前の撮影という事だけはわかります。
なぜ、ウチの爺さん撮影、と思うかというところですが、ウチの爺さんは若いころ、あの保土ヶ谷の線路脇にあったガス会社に「小僧」で就職した後、技師の道をずっと歩んだ人でして、当時、一般庶民には手にすることができなかったカメラも職掌で使用できただろうことと、仕事柄無類の機械好きでして、それはもうよく聞かされたんですけど、若いころに横須賀のガントリークレーンドックで建造中の戦艦陸奥を見に行った、なんてエピソードを持ってた人なんです。
小生がガキの頃、爺さんの口癖は「おまえが大きくなったら、ヨット作って走らせような!」なんてことも言ってました。読者の皆さん、「焼き鏝」でハンダ付けしたことあります?、小生は小学生時代、爺さんにガスで熱っためた鏝で実際にハンダ付けを教わりました。そのくせ、ブラスモデルのハンダ付けは今でもできませ~んけどね。図面引く時のデバイダ、とか墨つけ烏口、なんて道具も残ってます。
なので、当時、時代の最先端を行く鉄道の花形、東海道本線の新鋭機関車撮影に挑戦しても不思議はないのでは、と思う次第です。
川崎の自宅から横浜まで通勤するときに、自身の乗っている省線列車※もちろん蒸気牽引、と京浜電軌の電車※京急、のデッドヒートにワクワクした、なんてことも言ってましたからまぁ、鉄道も好きだったといっても良いでしょうから。
しかし、当時のカメラで良く止まったことですね~。複写も疑いましたが、どうもクオリティからしてちゃんと「鉄ちゃん」したものだと小生は信じております。原版はネガや乾板ではなく、手札版のブリントからスキャンしました。
ちなみにこの59628号機ですが、戦争で陸軍に供出され大陸に渡った後、敗戦で行方知れずになっており、再び日本の土を踏むことなく果てた、と思われます。
小生の機械好き/鉄道・船好き/は間違いなく爺様の教育の影響ですから、血は争えないもので。ちなみにこの写真とペアでもう一枚、興味深いプリントがアルバムに貼ってありました。
次回、何かの機会を見てUPしましょうかね!。