6月23日の旅の続きです。

 

ノースレインボー編成のフラノラベンダーEXP3号で富良野に辿り着いた私は、キハ40の普通列車で東鹿越へ向かいます。

2016年8月の台風災害で分断されてしまった根室本線ですが、不通区間を含む富良野~新得はバス転換が検討されており、狩勝峠を越えて再び列車が走る日はもう来ないのでしょうか…。

 

 

滝川を9:42に出た9627Dは、富良野で27分停車し、11:15に東鹿越に向けて発車します。

かつては『日本最長普通列車』の座に輝いた2427Dのスジを引き継ぐこの列車。台風災害で分断され、現在は新得以東の列車が同じ2427Dを名乗っています。富良野で11:02に先発する代行バスに乗り継ぐと新得で同列車に接続し、台風災害以前と同様に釧路まで行く事ができます。

なお、今回乗車するキハ40 1778は釧路運転所の所属ですが、滝川~東鹿越の普通列車には旭川運転所のキハ40も運用に入っています。

 

 

 

車窓右側には田園風景、奥には夕張山地北端の山並みを眺める事ができます。

(富良野~布部)

 

 

1つ目の停車駅・布部駅。

TVドラマ『北の国から』の舞台となった麓郷地区への最寄り駅(といってもココからさらに10数㎞離れている)で、第1話で主人公の黒板五郎が子供達を連れて麓郷へ向かうために降り立った駅として知られており、駅舎正面入り口そばには原作者の倉本聰直筆による『北の国此処に始る』のモニュメントが建っています。

 

 

ところで、ふらの・びえいフリーきっぷはフリーエリア内最初の下車駅から先はB券片を使用する事になるのですが、富良野では改札を抜けずそのまま乗り換えしたため、実質的にB券片の出番となります。

 

 

山部駅では地元客の多くが下車。東鹿越までの区間としては最も大きな集落で、富良野と合併する前は山部町という独立した自治体でした。かつては急行狩勝も当駅に停車しており、窓口では簡易委託で乗車券類が売られていましたが、現在は完全な無人駅。

この後下金山駅、金山駅と停車しますが乗降客はゼロ。

 

 

夕張山地の芦別岳。山頂付近にはまだ少しだけ残雪がありました。

(山部~下金山)

 

 

金山を出て、空知川を渡った処で金山ダムの堰堤が一瞬見えます。

滝里ダムと同様、金山ダム建設に際して根室線のルートが一部変更されています。

 

 

その後トンネルに入り、抜けるとかなやま湖を渡る橋梁に差し掛かりますが、東鹿越行きの車窓右側から見えるのはこの橋梁を渡る間だけ。

 

 

日鉄鉱業の石灰石鉱山が見えてくると、程なく終着・東鹿越駅に到着。

 

 

かつては釧網本線の中斜里駅へ石灰石(製糖工場にて砂糖を製造する過程で用いる)を輸送するための貨物列車(DE10+トキ25000形)が発着しており、周辺の駅が無人化した後も有人駅として残っていましたが、貨物輸送休止(事実上の廃止)によって無人化され、しかも島ノ下駅と同時に廃駅になる事が検討されていました。その後台風災害によって当駅で折返し運転をする事となったため、廃駅は撤回されて列車の終着駅、そして代行バスへの乗換駅としての機能を果たす事となりました。

 

 

 

ホームに鎮座する大きな石灰石の塊。

 

 

 

幾寅・新得方面へ続く線路を望む。

出発信号機は赤を現示したまま機能していますが、右側の側線と同様に列車の走らなくなった線路は草に覆いつくされています。

私としては不通区間は2012年7月のリバイバル列車『急行まりも』(上り昼行)で通ったのが最後で、過去には滝川→釧路の長距離鈍行に3回程乗った事がありましたが、台風災害によって再び乗る事は叶いませんでした。

私としては不通区間の復旧を望みたい処ですが、代行バスの乗客が少ない現状では、復旧は絶望的といわざるを得ません。

 

 

駅前には新得への代行バスが待機。列車の乗客の約半数、10名程はバスに乗り継いでいきました。ふらの・びえいフリーきっぷは隣の幾寅までが有効区間ですが、そこまで代行バスで行ってしまうと3時間近く戻ってこれなくなるので、今回は折返し列車の2430Dで富良野に戻ります。

 

 

その代行バスは12:05に発車。

 

 

 

9627Dとして到着から10分後、折返しの2430Dは右にかなやま湖を見ながら滝川へ向けて出発します。

代行バスからの乗り継ぎ客と、9627Dの折返し乗車の乗り鉄とで計10名程が乗り込んでいきました。

 

 

先程紹介したかなやま湖を渡る橋梁の反対側から見た風景。

 

 

かなやま湖が見えるのは上り列車では車窓右側がメイン。

この風景も廃線で過去のものとなってしまうのか…。景色の良い路線ばかりどんどん失われていくのはもう御免です!

(東鹿越~金山)

 

 

かなやま湖の先は、空知川の下流に向かって進みます。

(下金山~山部)

 

(山部~布部)

 

 

空知川沿いの狭い平地を縫って進んだ後は富良野盆地に入り、農業地帯を進みます。

この一帯の農産物も富良野からの貨物列車で全国へ運ばれるのでしょうか。

(布部~富良野)

 

 

2430Dは12:49に富良野駅到着。4分停車の後、滝川へ向けて出発していきます。

私はここで下車して富良野線に乗り換えますが、時間があるので一旦改札を抜けます。

 

 

富良野といえば、北海道の『へそ』。毎年7月下旬には北海へそ祭りが開かれ、メインイベントの『へそ踊り』は富良野の風物詩となっています。

 

 

改札口手前では『モジャくん』がお出迎え。

 

 

改札を出たら、まずは腹ごしらえ。

富良野には道内でも貴重となった駅そばが健在で、私は『天ぷらそば』を昼食として頂きました。

 

 

『愛されるJRふらの駅』と表記された富良野駅舎。

 

 

ご覧の通り、6月下旬だとラベンダーはまだ咲き始めの段階で、見頃なのは7月上旬~中旬あたり。

 

 

富良野からは13:38発の富良野線732Dで美瑛へ向かいます。

 

732Dはキハ150-2+キハ150-3の2連。私は後の3のほうに乗車しました。

 

 

『マイタウン列車 ラベンダー』の表示が残る方向幕。

国鉄時代の1986年に旭川・北見地区を走る普通列車に『マイタウン列車』として愛称名が付けられたのですが、結局定着する事はなく90年代半ばあたりに自然消滅してしまいました。それでもキハ150の方向幕には今もその名残を留めています。

 

 

2両編成ですが、観光客の姿も少ないので車内はガラ空き。

キハ150の座席は背もたれが直角に近いので、きちんと座ろうとするとあまり座り心地は良くありません。かえって国鉄時代の車両のほうが良かったりもします。

 

 

13:38、富良野を発車。

さっそく、車窓右側には十勝岳連峰を眺める事ができます。

 

 

13:49発の中富良野では、富良野・美瑛ノロッコ3号と列車交換。

ノロッコ号にはこの後美瑛到着後に乗車します。

(最後部窓より撮影)

 

 

急勾配区間を抜け、美馬牛を出ると『丘のまち・びえい』を象徴する風景が広がります。

(2枚とも美馬牛~美瑛)

 

 

石狩川水系の美瑛川を渡り、14:15に美瑛駅に到着。

 

 

この後、富良野・美瑛ノロッコ号に乗車して富良野に戻ります。

 

以下、次回につづく。