きのう2019年7月とおか、起(おこし)にある尾西歴史民俗資料館へいってきた。起にいくのはこいで3回めになる。
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おくれてきた、ふるい8時17分のしんあんじょういきふつうにのる。6011編成2両の6000系かんつうがた。座席配置はベンチシートで、まどのカーテンつき。あなあきジーンズにくろいくつのおんなのこや、ミニスカジーンズにしろいくつのおんなのこをふくめて、ふるいからのったのは24人。つぎのみなみあんじょうも3分おくれでしゅっぱつ。ここでははんたい電車をまってしゅっぱつするだけど、はんたい電車もおくれとるだ。東海道線をこえるとこで、ちょうどにしいきの電車と交差。いま推測してみるに岐阜いきふつうだったか。定刻の8時26分から3分おくれでしんあんじょうは2番のりばにとうちゃく。これをまつのももどかしそうに、1番のりばにとまっとった吉良吉田いきふつうがでていく。
名古屋本線にのりかえるだけど、8時28分の須ヶ口いき特急はでてっちゃったあと。むかしはこれにのりかえれたし、西尾線がおくれてのりかえれんくなっちゃうときはちゃんと車内放送でおしらせがあっただけど、ほれもあやへん。ちなみに、あとで名鉄ののりかえ検索でみてみたら。8時26分しんあんじょうとうちゃくからののりかえは、8時35分岐阜いき特急にかわっとった。特別車両券をかったうえで、4番のりばにやってきた、ほの8時35分の岐阜いき特急にのる。6両編成の2200系こおろぎで、定刻にしゅっぱつ。わが座席は特別車2号車7A。みぎまどがわのはしらかげで、となりの7Bはおんなのひと。座席は5わりうまっとる。前列の8Aと8Bの2席はおんなのひとがひとりがけだっただけど、境川のへんで車内精算しとった。名古屋をでて、8Aに移動。やっぱりはしらまえがいい。車内精算したおんなのひとが金山でおりたで、ほこに移動しただ。9時24分、一宮にとうちゃくするっていう車内放送。名古屋からはのろのろ運転。
はばのせばいみかづきホームで有名な西枇杷島をのろのろ通過。はんたいホームに数人まっとるのがみえる。通過中にパノラマスーパーとすれちがい。新川橋ものろのろ。ホームをすぎてほのまま新川をわたるだけど、鉄橋のうえではとまりそうにさえなった。新清洲を通過したとこで、ようやく名鉄らしいはやいはしりをとりもどす。国府宮のてまえで、みぎたんぼんなかに名古屋文理大学。あっかい電車に車体広告をだしとるあの名古屋文理大学ってこんなとこにあっただ。あとでしらべたら、ここは稲沢市市民会館だって、命名権をかって名古屋文理大学のなまえをだしとるだけだった。大学はまあちょっといった線路のひだりがわで、国府宮のまちにはいったとこにあった。国府宮をでてまもなくの9時24分、一宮にとうちゃく。下車。
一宮は、高架のホームからおりて地平のかいさつをでて、南北自由通路はんたいがわひだりおくにあるバスターミナルに移動。いちばんてまえにある2番のりばから起いきバスにのるだけど、あれ?起いきばすじゃないじゃん。これまできづかんかったけど、起にいくバスのとちゅうの尾張中島バス停から分岐する、蓮池いきと西中野いきのバスがあるだ。あさゆうは10分おき、ひるまは15分おきに起いきバスがあるだけど、なかにいきさきのちがうバスがはさがっとるだ。とまっとったのはしゅっぱつ直前の蓮池いきバス。つぎの起いきバスは15分あと。まあ、尾張中島バス停から起バス停まであるいていけんきょりじゃないで、このバスにのっちゃうかってことで、名鉄一宮駅9時31分の蓮池いきバスにのる。
バスどおりをにしにすすんで、9時43分、尾張中島バス停にとうちゃく。下車。バスが尾張中島交差点をひだりにまがっていくのをみおくって、ひとりバスどおりをにしにあるく。この交差点をわたって、ひだりにOK銀行尾西支店。むかしながらの銀行ってかんじのふるいたてもんだ。ついでだでってことで、ピピットでおかねをおろしていく。カードも通帳もなし、てのひら認証だけでおかねがおろせるってのはべんりなもんだ。またすすんで、ひだりに一宮警察署尾西幹部交番。交番にしてはおおきいだけど、コンクリートづくり2階だてのちいさなたてもんだ。みぎに三岸節子記念美術館がみえてくる。おりもん工場をまねたさんかくやねがとくちょうのたてもんだ。起工高・三岸美術館前バス停にとうちゃく。三岸節子記念美術館は2回めにきたときにおとずれた。ちからづよい作風がとくちょうだ。バス停のすぐひだりが起工業高校で、いちばんみちよりにたっとる体育館のなかから体育の授業をうける生徒らのこえがきこえてくる。またすすんで、みぎに、3軒ならびのあたらしいつくりの2階だて住宅。おくゆきはあさく、なんかの事業所用しきちのあとち活用か。ひだりに6階だてマンション。みぎにマツモトキヨシ。薬局業界も競争がきびしいってきく。
ななし信号交差点を直進。急にみせがおおくなって、商店街の街路灯も起商店街のもんにかわる。ひだりに森医院。おんなじとこで、みぎにイワコシ酒店。
10時ちょうど、あるいて新栄町バス停にとうちゃく。バスまちをするひとが3人。ちょうど起いきバスがやってきてのりこんでいく。おれがまちきれんかったバスだけど、運転士さんはおんなの運転士さん。まちゃよかった。バス停のむかい、バスどおりのみぎにスーパーカネモト。やけにでっかいたてもんだなっておもったら、高層住宅の1階がスーパーになっとるだ。ちょうどたばこがきれかけとって、なかにはいってレジのおねえさんにきいてみると、ない。おくのほうにいってきいてくれて、イワコシ酒店ならあるっておしえてくれる。いまとおりすぎてきたとこだ。もどってたばこをかう。しなぞろえはなく、なんねんかぶりのショートホープにする。1はこ。またバスどおりをにしにあるいていく。イワコシ酒店のにしにも数軒の分譲住宅。スーパーカネモトのてまえひだりがわ、みちからおくにはいったとこに、コンクリートづくり4階だての廃虚アパートがみえる。ひだりどなりは木造2階だて住宅。起・東茜屋交差点をこえて、ひだりに喫茶のどか。1回めにきたときにはいった喫茶店で、店主のおばあさんとしたしくはなしたとこだっただけど、2枚のシャッターの1枚しかあがってなくて、いりぐちんとこにいってもおばあさんのすがたはみあたらん。旧映画館 tomida のみぎおくに廃屋。体育館みたいなはしらのないつくりでなかがひろいたてもんなだけど、ここが映画館だったのか。
10時18分、あるいて起バス停にとうちゃく。おんなのひと3人がのりこんでいく。起はひんぱんにバスがくるべんりなとこだ。バス停のとこのよつつじをきたにはいって、珈琲庵倭でいっぷく。ここも1回めにきたときにはいった喫茶店だ。おばあさんたちの一団がでたのといれかわりにはいっただけど、まんだみせんなかはじもとのひとたちでいっぱい。席はみっつあるおおきなテーブルがすべてで、ほのひとつにすわって、キリマンジャロコーヒーを注文。さいしょに、ビニールづつみのちいさなおかしがふたつでてくる。つづいて、ちゃいろいまるいせともんにはいった半熟たまごと、みかんののったヨーグルト。たのんだキリマンジャロコーヒーがでてきてこいでおわりっておもったら、さらにトースト2枚。どいだけ~ってかんじだ。トーストの1枚はしおあじ。うまいな。さいきんこのへんでどろぼうが横行しとるらしく、みんなほのはなしでもちきり。あとからはいってきていちばんみぎおくにすわった、ももいろのTシャツをきたご婦人がまえにここに案内してくれたひとかな~ともおもったけど、確信がもてんくてこえをかけずじまい。420円なりをはらってみせをでる。
バスどおりと交差するよつつじをみなみにはいっていく。東南かどに喫茶軽食レインボー。1回めにきたときはしまっとっただけど、きょうはあいとる。ちょうどおじいさんおばあさんの老夫婦がでてきて、店主らしいおんなのひとがみおくりをしとる。みせんなかもはやっとりそうなかんじだ。すすんで、ひだりに茶工房ギャラリーまつや。定休び。みぎ、よつつじの西南かどになるとこに、北面だけがレンガづくりの外壁になっとる木造住宅がある。一部2階だてのひらや住宅なだけど、レンガづくりの外壁はもともとこうばかなんかだったもんの一部を記念にのこしたもんか。このよつつじからにしにはいっていく。T字にあたってとこをちょこっとみぎにいったひだりに、くろい門塀に土蔵のあるおやしき。もどってT字からみなみにすすんで、ひだりに徳行寺のおてら。おてら西南かどのよつつじを、にしにほそいみちをはいっていく。このよつつじ西南かどにはのこぎりやねふたつのたてもん。おりもんこうばのあとにちがいない。おりもんは起の伝統産業だ。
つきあたって、南北にはしる美濃路にでる。つきあたったみちのむこうに尾西歴史民俗資料館の別館にもなっとる旧林家住宅。美濃路をきたむきにながめたとこで、みぎにいしぶみを発見。いってみると、本陣と問屋場(といやば)のあとのいしぶみがある。1回めにきたときに、にわさきにでてきとったおじさんにきいたとおり、わき本陣である旧林家住宅のむかいに本陣はあった。本陣と問屋場のいしぶみにならんで、国学者加藤磯足(かとういそたり)邸あとのいしぶみ。説明がきに、「江戸中期の11代当主で、本陣職をつとめるかたわら、木曽川づつみの自普請や村政にもちからをつくし、国学者本居宣長の高弟として学問にも熱心で、尾張を代表する文化人でもあった」ってかいてある。自普請(じぶしん)ってのは、じぶんでかねをだして工事をやったっていう意味だ。加藤磯足っていうなまえ、おぼえときたい。
旧林家住宅にはいって見学。きのはしら、きのはり、きの天井。たたみに、障子に、おおいにおおわれた蛍光灯に、えんがわのゆらゆらガラス。最高の空間だ。おもやがあって、わきおくにはなれがあって、まんなかにこけむすにわがある。たてもんはぞんがいにあたらしくて、1913年に再建されたもん。はなれのほうはまっとあたらしくて、昭和になってからたてられたもん。1891年の濃尾地震で倒壊しただ。
コンクリートづくりの本館にはいって、さいしょに「歴史街道、美濃路をあるく」っていうおりたたみの地図をかう。200円。美濃路はこの起宿のほか稲葉宿もおとずれたことがあるだけど、こいでほかのとこにもいける。入館料は無料でほのままはいっていきゃあよかっただけど、館員とはなしができんのもさびしいってこともあって、この地図をかった。旧林家住宅の建築年なんかもこのとき、うけつけのおねえさんからきいた。
展示室にはいって、美濃路と佐屋路の地図にめがとまる。美濃路は、東海道は宮宿から分岐して西北にすすんで中山道は垂井に短絡するわき街道。佐屋路は、おんなじ東海道は宮宿から分岐するだけど、陸路をにしに佐屋までいってから海路でまた東海道の桑名宿にもどるっていう街道。いまは名鉄津島線の佐屋いき急行がまさにこの経路をとる。
つぎに起5か村の地図。起村一村じゃあ人馬役をになえず、隣接する富田、西五城、東五城、小信中島(このぶなかしま)の4村が加宿としてになったとのこと。小信中島ってのは2回めにきたときにきいたぞ。三岸節子記念美術館の所在地が小信中島だった。起はもともとおおきなむらじゃなかっただ。
べつの地図に木曽川、長良川、揖斐川の別名がかいてある。それぞれ起川、墨俣川、佐渡川(さわたりがわ)っていうなまえだけど、じもとじゃあこっちをつかっとったみたいだ。起川と墨俣川のあいだに小熊川っていうのもあって、美濃路は起から西北に、起のわたし、小熊のわたし、墨俣のわたし、佐渡のわたしって、たてつづけによっつもかわをわたっていかにゃいかんかっただ。いや、陸路でもけっこうたいへんだっただ。
こんどは一宮市鳥瞰図。新一宮のえきからずーっとひだりに起までのびる名鉄起線がくっきりみえる。路面電車の起線が道路のまんなかをはしっとる。とちゅうのえきとして、まんなかに三条のえきがみえる。沿線にはおりもんこうばがいっぱい。じもとのひとなら、いずれかのこうばにおもいいれもあったりして、とってもなつかしい図だらあ。いま三岸節子記念美術館になっとる三岸節子の生家のおりもんこうばも、いずれかのひとつか。起工業学校はいまも起工業高校としてこの位置にある。
おーっ!往時の起線の電車の写真もある。そもそも起にくるようになったきっかけがこの起線だっただ。路面電車からバスに転換していまはどうなっとるかってことをたしかめに起をおとずれた。ついでに美濃路のしゅくばまち起宿だったってこともわかって、美濃路をあるいて渡船場(とせんば)のあとをたずねたりしとる。写真の説明がきに蘇東線(そとうせん)ってかいてあるのは、起線になるまえの路線名だ。
1945年から1955年ごろの起町地図も興味ぶかい。美濃路のひがしがわのたんぼだったとこが市街地化されて、おりもんこうばがいっぱいたっとるのがわかる。
濃尾大橋についての解説もある。1956年に開通して、江戸時代からつづいとった起と駒塚をむすぶわたしぶねが廃止になる。ちなみに、濃尾大橋は1969年まで有料だったとのこと。ほれぐらいのすごいはしなだ。いってみるとようわかる。
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見学をおえて、美濃路をきたにあるく。バスどおりをよこぎる。ひだりに船橋河戸(ふなばしごうど)のあと。みぎに土蔵。むかしのおもかげののこるまちなみをいく。ひだりに瓦屋。
美濃路からほんのちょこっとはずれて、みぎにさかをおりるとちゅうに本誓寺(ほんせいじ)の楼門。中国風のつくりなだけど、境内はほっからまたひくい位置にあって、楼門からみる本堂のようすが、がくぶちのえみたいにおもしろい。楼門の額に「起崋山」の文字。本誓寺のきたに宮河戸(みやごうど)あとのある大明神社(だいみょうじんじゃ)。ここは1回めにきたときにもおとずれとるだけど、社務所が起守城公民館もかねとることをかくにん。境内にある起のおおいちょうもさいかくにん。また、美濃路をきたにすすんで、ひだりに天然記念物の加納邸のいぶき。大垣一宮線の道路をくぐる。この道路がすぐひだりに濃尾大橋につながる。1回めにはこっちのほうまできただけど、ここでひきかえした。起宿もこのへんまでだらあっておもってのことだっただけど、みっつある渡船場のうちでいちばん重要ないちばんきたの渡船場がここよりきたにいったとこにあるってことで、こんかいはさらにきたにあるく。
みぎに亜杏(あき)ビューティーサロン。個人宅の一角にたてられた美容室だ。この美容室はいくつかある例外のひとつだけど、むかしのおもかげののこるまちなみはつづく。ところどころにあきち。
みぎに2階だてでくろぬりのりっぱな土蔵。后藤宅。この土蔵のむかい、ひだりの住宅にも2階だての土蔵。土蔵なだけど、外壁にいしやタイルをつかった洋風の外観で、あるいはあとで住居に改造しとるのかもしれん。また、すすんで、ひだりに木造2階だての丹羽宅。ほのすぐきたがよつつじになっとって、よつつじのはすむかいに木造2階だての湊屋。まあちょっとすすんで、みぎに土蔵。ほのとなりに二連ののこぎりやね。いまもおりもんこうばをやっとるのかどうかはわからん。湊屋にもどってひるごはん。これが旧湊屋文右衛門邸のたてもんなだけど、いまは茶店湊屋にかわって、水、土、日に営業しとるだ。ライスカレーを注文。500円。湊屋のにしにむかしはみちはなかった。みなみからきたにきた美濃路は、湊屋につきあたってにしにまがっとっただ。まがってすぐが、いちばんきたの渡船場である定渡船場になる。湊屋文右衛門はこの有利な立地をいかして、てびろく商売をやって財をなしたらしい。
よつつじからにしにいって、すぐに起第一陸閘にあたる。1954年3月完成。1回めにきたときには、船橋河戸のとこにあった起第二陸閘をおとずれた。起第一陸閘で堤防道路をくぐって、木曽川のかわらにでる。
よつつじまでもどるわずかのあいだのきたがわに金刀比羅神社。ここが定渡船場があったとこだ。境内、とりいてまえみぎに巨大な常夜灯。手水舎(ちょうずしゃ)でてとくちをきよめてから拝殿におまいり。手水舎と拝殿は、ももいろのコンクリートづくりだった。おまいりのあと、境内の休憩所でいっぷく。かべなしの木造のたてもんで、うちがわの周囲がコンクリートベンチになっとって、ほこにはいざらがおいてあるだ。たばこすいにはうれしい。いっぷくしおえて、3回めの起のたびをおえる。
(さんこう)
- 乗車記録 - 2019年7月とおか、すいようび、平日
- 1936年の一宮市の鳥瞰図 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/07/11
- 帰宅 - 2019年7月とおか - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/07/11
- 起からのかえり。濃尾大橋口バス停14時7分の名鉄一宮駅いきバスにのる。
- 起線と起宿 - あきひこゆめてつどう|2019/06/01
- 一宮市尾西歴史民俗資料館|一宮市
- 三岸節子記念美術館にいってきた - 2019年6月18日 - あきひこゆめてつどう|2019/07/18 〔ついか〕
- 2019年6月18日、起(おこし)にある三岸節子記念美術館にいってきた。起にいくのは、はじめていった2019年5月27日につづいて、こんかいが2回めになる。いきかえりのようすと現地のようすをあわせて、以下に紹介する。ちなみに、3回めにいった2019年7月とおかのことは、順番を前后してさきにブログ記事にしてある。
(※ これが2回めの訪問)
- 2019年6月18日、起(おこし)にある三岸節子記念美術館にいってきた。起にいくのは、はじめていった2019年5月27日につづいて、こんかいが2回めになる。いきかえりのようすと現地のようすをあわせて、以下に紹介する。ちなみに、3回めにいった2019年7月とおかのことは、順番を前后してさきにブログ記事にしてある。