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突然ですが読者の皆様、かつて北海道に「ふるさと銀河線」と呼ばれていた第三セクターの鉄道があったことをご存知でしょうか。
3枚とも 2004年頃北見駅にて
ふるさと銀河線は「北海道ちほく高原鉄道」という会社が運行しており、もとは旧国鉄およびJR北海道が運行していた「池北線」を第三セクターに転換した路線でした。
しかし池北線は、国鉄末期に行われた赤字路線廃止期に「北海道長大4線」と呼ばれた路線長100km越えかつ赤字額が多い路線の1つであり、池北線以外は第三セクターに転換されることも無く廃止されました。
唯一存続した池北線も、沿線の過疎化が進んだことにより利用客数が転換時の半分ほどまでに減ってしまい、2006年4月20日に全線廃止となりました。
しかし、路線廃止後も結構な数の橋梁を始めとした構造物が撤去されず残置されており、容易に廃線跡をたどることができる状態でした。
ところが、さすがに廃止から10年以上の月日が経過し、残置された構造物の老朽化が深刻になってきたようで、近年それらの構造物がちらほら撤去され始めてきました。
特に、長らくJR北見駅の横に残されていた本社建屋(上の写真3枚目)が解体されたのは、ちょっと寂しかったですね・・・。
そんなわけで、今回の旅で廃線跡を少しでも巡れたら・・・と思っていたところ、そんな残された構造物の象徴だったものが撤去されるというニュースが流れました。
それは北見市内にある「南大通高架橋」というもので、ここは「ふるさと銀河線」のロゴマークが残っている数少ない構造物でした。
公表されている工事スケジュール的にギリギリ間に合うか・・・という状況だったのですが、今回はそんな「消えゆくふるさと銀河線の遺構」を記録することにしました。
北見駅から車を5分ほど走らせ、現場に到着。
すでに解体工事がだいぶ進んでいましたが、かろうじてこの高架橋が「ふるさと銀河線」のものであったことは分かる状態でした。
あと1週間遅れていたらどうなっていたかと思うと、まさにギリッギリでの訪問だったようです (^_^;)
ちなみに解体工事前の高架橋は、こんな感じだったようです。
グーグルストリートビューより
ご覧の通り、中央の道路の路盤を若干へこまして高架橋とアンダーパスさせているのが分かります。
このへこみが原因で渋滞や事故が起きたり、大雨時に水が溜まって通行止めになるなどの不都合が色々あるようで、今となっては無意味なアンダーパスを解消するため、高架橋を撤去するに至ったそうです。
訪れたときは、道路の一部を潰して仮の橋脚が建てられていました。
本当ははもっと早い時期に撤去するつもりだったようですが、撤去工事の工法がなかなか決まらず、2018年度までずれこんだそうです。
まあそのおかげで、私は最後の雄姿を見届けることが出来たのですが。
まさか「復刻版」ではなく、現役自体から残る本物のロゴを再びこの目で見られるとは、ちょっと感慨深いですね。
廃止から10年以上経っているにもかかわらず、想像以上に状態が良くて驚きました。
撤去工事中の橋脚を観察。
中央の道路の上に架かる部分以外はほぼ撤去済みの状態で、路盤などはすでに全く無くなっていました。
すぐ横には、大型クレーン車が留め置かれていました。
風前の灯となった高架橋に、間もなく「とどめの一撃」を喰らわせることでしょう。
ついでに高架橋前後の区間も観察してみます。
こちらは先ほどの高架橋から南側に100mほど進んだ場所。
明らかに踏切跡であろう場所ですが、道路化して10年ほど経過しているにも関わらず、もともと線路の路盤だったところに、くっきりとヒビが入っていました。
おそらく地面の固さが、普通の土とは違うんでしょうね。
この踏切の先には線路跡が続いています。
土が盛ってある先に川があり、そこには一番上で紹介した「無加川橋梁」が架かっていたのですが、現在は橋脚しか残っていないみたいです。
一方、工事現場の北側の様子。
こちらは築堤の跡がブルーシートで覆われた形で残っていました。
そして奥に見えるピンクの建物が旧車庫で、建屋の一部はほかの用途に転用されているようです。
最後に工事の看板を撮影。
日付を見ていただければわかりますが、すでにこの高架橋の撤去工事は完了しているので、今回紹介した高架橋はすでに現存していません。
現在は、アンダーパスしていた道路の平面化工事が行われているようで、またひとつ「ふるさと銀河線」の遺構が消えてしまったということです。
本当は、今回の旅で廃線跡をたどることも考えていたのですが、行程上そこまでの余裕が無く断念しました。
いつの日か、じっくり廃線跡をたどってみたいですね。
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