6/11に、弘南鉄道大鰐線 津軽大沢車両検修所に留置中のED22-1を撮りました。
先に津軽大沢車両検修所に並んだ留置車両を紹介していますが、その中の電気機関車ED22-1をアップで撮りました。
ED22型は、元々は1926~27年にJR大糸線の前身となる信濃鉄道がアメリカのボールドウィン・ロコモティブ・ワークス(機械部分)およびウェスティングハウス・エレクトリック社(電気部分)で製造、輸入された1形になります。
中央に運転室が設けられ、さらに運転室の前後に機械室が張り出した、凸形の電気機関車で、先に紹介した弘南線のED33形も同型機になります。
1937年の信濃鉄道の買収、国有化により、省形式が付与されてED22形に改称されています。
1943年には飯田線に転属し、1948年にED22-1は西武に譲渡され1形となりました。
さらに、1950年に近江鉄道に譲渡されて、再度、ED22-1に改番され、1960年には一畑電気鉄道に譲渡、1974年に弘南鉄道に譲渡され現在にいたります。
大鰐線では、ラッセル除雪車キ105の動力車として用いられています。
1枚目は、津軽大沢車両検修所に留置中のED22-1です。
遠かったので、津軽大沢駅の構内通路からズームで撮って、さらにトリミングしています。
後方にはキ105が連結されています。

2枚目は、津軽大沢駅のホームから撮った左からデハ6007、ED22-2、デハ7037です。
遠方にあり、車両が密に留置されているので、ED22-1だけのアップは難しいです。

3枚目は、津軽大沢駅の駅舎付近から撮った左からキ105、ED22-1、デハ7037です。
こちら側からでも遠方だったので、ズームで撮って、さらにトリミングしています。

先に津軽大沢車両検修所に並んだ留置車両を紹介していますが、その中の電気機関車ED22-1をアップで撮りました。
ED22型は、元々は1926~27年にJR大糸線の前身となる信濃鉄道がアメリカのボールドウィン・ロコモティブ・ワークス(機械部分)およびウェスティングハウス・エレクトリック社(電気部分)で製造、輸入された1形になります。
中央に運転室が設けられ、さらに運転室の前後に機械室が張り出した、凸形の電気機関車で、先に紹介した弘南線のED33形も同型機になります。
1937年の信濃鉄道の買収、国有化により、省形式が付与されてED22形に改称されています。
1943年には飯田線に転属し、1948年にED22-1は西武に譲渡され1形となりました。
さらに、1950年に近江鉄道に譲渡されて、再度、ED22-1に改番され、1960年には一畑電気鉄道に譲渡、1974年に弘南鉄道に譲渡され現在にいたります。
大鰐線では、ラッセル除雪車キ105の動力車として用いられています。
1枚目は、津軽大沢車両検修所に留置中のED22-1です。
遠かったので、津軽大沢駅の構内通路からズームで撮って、さらにトリミングしています。
後方にはキ105が連結されています。

2枚目は、津軽大沢駅のホームから撮った左からデハ6007、ED22-2、デハ7037です。
遠方にあり、車両が密に留置されているので、ED22-1だけのアップは難しいです。

3枚目は、津軽大沢駅の駅舎付近から撮った左からキ105、ED22-1、デハ7037です。
こちら側からでも遠方だったので、ズームで撮って、さらにトリミングしています。
