1970年代撮影 小生最古の相鉄鉄写、オニュウの横浜駅と6000系 | 湘南陽光電しゃ館 鉄道館

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よろしくお願いいたします。
現役時代に撮りためた鉄道写真に
鉄道関連if私想小説をモチーフにした
模型鉄がメインのブログです。
どうぞお楽しみくださいませ!!。

小生、小田急ファンながら相鉄モチーフの私想(友人によると妄想!?)小説を書いています。

 

IF歴史ノベルスの読みすぎで自身でいろいろと歴史のターニングポイントを改変して、収集模型のバックグラウンドストーリーを創出しながら、つたない駄文を書き散らしているものです。

 

ただ、文にしてみようと思ったのは、2011年の東日本大震災の被災現場を目の当たりにしたショックが大変大きかったことにより、その昔、小生居住の湘南相模湾岸を大防潮提で囲い東海大地震の津波から守る、という構想を思い出したことからです。

 

それに鉄道モチーフを絡めたらどうなるか、さらに当地の大動脈、東海道線の開通が史実より遅かったら神奈川県内の鉄道開発はどう変わっていったか、を想像に絡めてまとめています。

 

IF歴史ノベルスの選択ジャンルが近代戦記物が99パーセント!の偏り方から、当然、戦記エピソードが占める部分も大きいです。

 

ただ、荒唐無稽のトンデモ!物語では現実乖離が大きくて、実際の鉄道状況と絡ませることができませんので、そこは史実を確認しつつお話をシコシコと構想しております。

 

本当は小田急メインでお話を紡いでゆきたいのですが、どうも湘南メインで行くと「相鉄」メインでお話を構成した方がすっきりする!!と思ったんです。

 

「相鉄」は史実社史自体が実に多趣多岐のエピソードに溢れていて、それだけで小説が書けそうですし、さらに院/省/国鉄/JR東のお上鉄道のみならず、東京私鉄の主だったところともしっかり絡んでおりますから、これは話を広げやすいですしね。

 

というわけで小生の私想小説は「相鉄」モチーフなのですが、幣ブログで「相鉄」モノは少ないんです。

 

小坊低学年時代、爺様に連れられて東海道線80系電車の中から目にした、ボディマウントの相鉄5000のなんと眩しかったことか!!。

 

それとあの時代の「玉虫」塗装、小生の中では今でも鉄道車両塗装の中では断トツ1番ですから。

 

だから、あの後の緑系塗装を見たときはがっかりしたなぁ。ただ、ステン5000のデビュウでちょいと持ち直しましたけど。

 

1970年代撮影 相模鉄道横浜※ジョイナス駅になって数年後

 

小生最古の相鉄鉄写だと。ジョイナス脇に貨物が走ってますから、まだSN分離前の時代でしょうね。

 

追記:2019/06/22、今日ちょいと今の現状↓を撮ってきました!。

2019/06/22撮影 相模鉄道横浜駅

見た目あんまり変わりませんが、ホームエンドまで電車が入っているのとホームドアが設置されてます。

 

余談になりますけど、当時のオリンパスペンEE-2の銀塩モノクロの方が内外のコントラストがうまく取れてて、景色が良く映しこまれてます。今のデジはこういうコントラストの大きい景色は苦手ですねぇ・・。

 

余談になりますが、小坊よりもっと年端のいかない時代はジョイナスの出来る前の横浜駅西口商店街の中にあった、レストラン「小西」でハンバーグステーキごはんを食べるのが大の楽しみでした!!。

 

その頃の「相鉄」は旧5000以外の電車はこれまた、ボロ電の集まりで、小田急の2400両開き扉車で絶対的優越感を抱いていたのも事実ですけど。

 

本年末、その相鉄が遂に「お上」の線路に直に乗り入れます。それも通常ローカル列車がです。チョイ乗り入れは今までもありますが、こんなに本格的なのは初めて。「大手」を出し抜いた「隠れ大手」に拍手です!!。

 

今は昔、電化初期には線路も電気も、省線から細々と譲ってもらってた鉄道がですよ!?。

 

会社設立の頃の新進気鋭の社風は「令和」に入ってもまだ生きていて、雌伏の時を経てついに全開しましたね~。実にウレシイ!目出度い目出度い!!。もう、二度と「中小の大手」なんて絶対に言われませんよね、きっとね!!!。