ハートランドフェリーで稚内港に着くと,気付けば外は真っ暗。(→前回
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稚内駅を発車する平成最後の列車。
一駅だけですが,宿のある南稚内まで乗りました。
宿は駅前のビジネスホテルで,ドリンクと小ラーメンが無料で食えるうえ,大浴場にはそこかしこにロシア語の注意書きがあるとかいうエモい宿でした。ここで改元を迎えるという。
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翌日,令和元年初日は宗谷バスの定期観光バスで稚内を見て回りました。
宗谷岬は綺麗に晴れていて,樺太の島影を見ることができました。
以前台湾人だかのブログを読んでいたら「日本人は最北端とか最東端とかが好き」と書いてあったのをふと思い出しました。たしかに,令和元年の初日を日本最北端で迎えることに,私も自然と興奮していたのです。本当はチャリとかで来れたらよかったんですけどね。
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似たようなものを与那国島で見たような…(石垣と稚内は友好都市なんですねえ)
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稚内駅から特急サロベツで宗谷本線を南下。
宗谷本線は初めてなので,可能ならば鉄道で北上して日本最北端・稚内駅まで到達するような旅にしたかったところですが,今回は行程上,南下していく旅になりました。
HET261,初めて乗ったと思うのですが,やはりというかJR北海道の特急はいいですね。
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幌延で4時間の乗り継ぎ。
GWにもかかわらず観光案内所が閉まっており,レンタサイクルを借りられなかったのでサロベツ原野へ足を伸ばすことができませんでした。思わずツイッターで愚痴ったところ,地元の方のアカウントから丁寧に謝罪されてしまい,やや気まずい思いをしました。
とりあえず仕方がないので閑散とした集落を散策してましたね…。
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夜,音威子府着。
我々を乗せてきた特急宗谷は轟音を響かせながら暗闇に消えていきました。
音威子府って名前,旭川の神居古潭と並んで筆者的エモい地名なので,いつか来てみたいと思っていたんです。
今回お世話になった宿も,オープンしたばかりの民泊みたいなところで,なかなか雰囲気がよかったです。
夕飯を食べ損ねていましたが,ちゃんと集落にセイコーマートがあったので助かりました。チャリで利尻一周してるときも突然現れるセイコーマートの世話になりましたし,本当に道民の生命線なのだと実感しましたね。
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翌日,音威子府駅構内のそば屋「常盤軒」へ。
店主夫妻が高齢のため休業していたのですが,あまりにも日本中にファンが多いことから先日営業を再開されたのです。この日も長蛇の列でした。
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濃いめの醤油つゆ,黒色の蕎麦で文字通り「真っ黒」といった印象。
めっちゃうまかったのですが,行列の大半が鉄道利用者ではなく駅に自家用車で乗り付けてくる人々だったので,些かJR北海道が不憫になりました。。

音威子府駅には音威子府〜浜頓別〜稚内を結んでいた天北線の資料館が併設されています。
かつて分岐駅として鉄道産業で栄えていた音威子府は,昭和から平成に変わると同時にその役目を終え,平成から令和へと変わった今は,蕎麦で有名な町になりました。
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キハ54で天塩川に沿って南下していきます。
ゆるやかに蛇行してゆく天塩川を眺めていると,私にもアイヌの人々が暮らしていた頃の景色を想像できるような気がします。
現代の北海道において〜ナイ,〜ベツなど川にまつわる地名が多いことからも,アイヌの暮らしと川が密接に結びついていたことが分かります。
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名寄でキハ40に乗り換え。
名寄の印象は,陸上自衛隊第3普通科連隊くらいしかないですね。
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そうして宗谷本線を完乗し,旭川に到着。
子供の頃旭山動物園に行こうと来たことがありましたが,十数年ぶりに来たらとても立派に様変わりしてました。乗り継ぎ時間が長ければ,駅中や駅前を見て回りたかったですね。
特急カムイに乗り換えると,旭川を境に線路状態が全く変わり,走行音が俄然都会的になりました。

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札幌に着いたのは夕刻1730。
旅の計画段階では札幌に2泊して帰る予定だったのですが,音威子府のあたりで急遽「天売焼尻の2離島も行ってみるか」と思いたち,札幌駅1800発,沿岸バス特急はぼろ号で羽幌を目指すことにしました。

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