横川貨物線と本川雁木 ー①
ー鉄道から見る郷土史ー
戦前には、横川駅から伸びる貨物線がありました。
本川の河岸にある貨物積卸場までの、わずか1km程度の貨物支線です。
冒頭の写真は旧山陽本線の遺構で、築堤の高さは約1mぐらいだったようです。
横川本通りは国道183号線が整備される以前、広島市内から三次方面へ連絡するメインルートで、江戸時代には雲石街道として広島城下への入口として機能していました。
現在は新幹線と山陽本線の高架が並んで、道路とは立体交差となっていますが、今から約60年前は踏切でした。
貨物線はこのガード(旧横川踏切)の先で分岐して、緩やかな弧を描いて貨物積卸場へ伸びていました。
現在の国道183号線です。
山陽本線から分岐した貨物線は、パチンコ屋のhinomarが建っている辺りから画面右に向けて線路が伸びていたようです。
この辺りからカーブは一気に円を描くように、終点へ向かって方向を変えて行きます。
城北通りを斜めに横切ると、焼肉楽家・百万石さんのビル付近を突き抜けます。
貨物線は、1897(明治30)年9月に山陽鉄道が徳山まで開通し、その翌年に開業しました。
営業路線としては1945(昭和20)年8月5日まで運転されてたらしいですが、翌日の朝8時15分にはアメリカ軍による核攻撃を受けて、列車の運行はできなかったようです。
突き抜けた線路は裏通りの駐車場【P→】辺りから右手方向へ伸びていました。
そして自販機のある角から手前右のビルの角へ、交差点を斜めに横切ります。
ロイヤル神川というマンションを分断するかのように円を描いて、駐車場辺りからカーブしながら右手へ伸びます。
手前からパチンコ屋ナイアガラ2、広島エナス広島支社、大塚製薬広島支社と並ぶこのビルの列が建っている位置に、線路はまだ円を描いて河岸へと続きます。
ちなみに道路は浅野氏時代からあるようで、線路跡は現在、ビルが建ち並んでいる位置です。
終端の本川河岸貨物積卸場の車止めがあった場所には、現在民家が建っています。
駅前には雁木が造られており、今でも現役でアサリ漁などの舟が発着する他、水上バスの乗り場にもなっています。
なので周辺は公園としても整備されているのですが、線路終端の反対側には歩道に障害物かのように緑地帯が設けられています。
貨物駅跡の記念碑でも造ろうとして、中途半端に放置されたままと見えます。
雁木の方には、案内書きと記念モニュメントが造られています。
対岸は広島城の旧城内で、線路が敷設された頃には広島衝戌病院(広島陸軍病院)がありました。
天守閣も位置的には目前に建っているのですが、周囲のビル群に囲まれてその姿は見えません。
雁木の説明書きと、今でも現役の雁木です。
説明書きには、簡単に貨物駅の一文もあります。
さて、初めての廃線跡探訪の記事なので、他の方の見よう見真似で書認めてみましたが、廃線ファンの諸氏には物足りなかったかと思いますが。
その辺はご容赦頂くしかないのですけど。
ラストは参考掲載なんですが、被爆直後にアメリカ軍によって撮影された航空写真と、左側が大正時代、右側が昭和初期の古地図です。
冒頭の旧山陽本線の遺構については、また別の機会に記事にします。
ー鉄道から見る 広島郷土史の記事一覧ー
・ |
ゑ |
>ブログトップページ<
search keyword=広島県,広島市,廃線,横川,楠木