皆様こんにちは。北野鉄太郎と申します。

 

私はかつて、Yahoo!ブログなどで鉄道ブログをupしていましたが、その後挫折…。

一応、YouTubeチャンネルも開設していますが、動画の数もそれ程多くなく、チャンネル登録も少ない『知る人が知る存在』となっています。

ブログを再開するにあたり、Yahoo!ブログが終了するという事もあってamebaに鞍替えする事に致しました。

つきましては、挨拶代わりとして私の鉄道趣味についてお話したいと思います。

 

40代半ばに差し掛かろうとしている私が鉄道趣味に足を踏み入れたのは小1の時、つまり7歳の時でした。

当時はまだJRが国鉄だった頃で、国鉄再建法が成立した後という微妙な時期。

当時全盛を極めていた児童向けA6判図書の『小学館のコロタン文庫』が趣味の入り口で、母が買ってきた『私鉄駅名全(オール)百科』という本にハマってしまい、その後同じコロタン文庫の鉄道シリーズ(機関車全百科、国鉄駅名全百科etc…)やケイブンシャの大百科の同じく鉄道シリーズを読んでいくうちに鉄道の世界にどっぷり浸かるようになっていきました。

私自身、石北線沿線のマチで生まれ育ち、地域柄クルマの普及率は高かったのですが両親が免許を持っていなかったため家にはクルマがなく、移動には公共交通機関の利用が必須でした。

当然、遠出となると国鉄を利用するワケですが、私の母方の叔母が住んでいた旭川へは年に何度か行っており、その際に利用したのがキハ56系の急行大雪でしたが、鉄道に興味を持ち始める前は汽車旅が苦痛で仕方がなく、とにかく早く着きたい、帰りたいの一心でむしろ鉄道そのものが嫌いな存在でありました。

(画像はイメージ)

 

それを一変させたのが先に挙げた出来事で、以来鉄道の旅が楽しみなものへと変化していきました。ただ、あくまでも移動の手段として見ていたため、わざわざ乗るだけのために鉄道を利用しようという発想は当時全くありませんでした。

 

その翌年にはNゲージ鉄道模型にも手を染め、気動車中心に車両を買い集めたりしていました。

 

小学生のうちはいわゆる『鉄道大百科』などの書籍で知識を身に着けたり、模型鉄が趣味のメインでしたが、私の鉄道趣味のターニングポイントとなる出来事が起こります。地元の鉄道路線の一つでもあった湧網線の廃線です。

 

当時は特定地方交通線の廃線が本格化し、61.11ダイヤ改正が行われて国鉄の分割民営化も閣議決定した直後という時期。既に湧網線のバス転換も決定しており、廃線直前で土日に限り臨時列車の増便が始まったという事もあり、せっかくだから乗っておきたいという一心で網走~常呂の短い区間だけ乗りに行った事で乗り鉄に目覚める事になったのです。石北線に乗り慣れていた私は湧網線のローカル線としての独特な雰囲気に衝撃を受け、日を改めて中湧別までの全線を往復乗車しています。また、時を同じくして硬券切符の魅力にハマり、収集鉄としての活動も始める事になります。

(画像は、湧網線を中湧別まで乗車した時に撮影したもので借り物のカメラで撮影)

 

その後JRが発足し、私も中学校に進学して硬券切符収集を兼ねた乗り鉄を本格化させていきましたが、無知な私は『青春18きっぷ』の存在を知らず、普通列車メインの旅なのに普通乗車券だけで乗車していたので随分勿体ない事をしたものだと後悔しています…。

 

しかし、中学2年に入り(昭和の最末期の頃)、私は他の趣味に没頭するようになり鉄道趣味を一服してしまいます。その後に廃線となった特定地方交通線『長大4線』のうち、私の地元から比較的近かったにも関わらず名寄本線と標津線には一度も乗る事はありませんでした…。これもまた、一生の後悔であります。

 

『鉄』を再開したのは平成の初め、中学卒業直前の辺りからで、高校入学後は『青春18きっぷ』や『北海道フリーきっぷ』の乗り放題切符で本格的に乗り鉄をするようになります。そして初めて自分のカメラ(コンパクトカメラ)を手に入れて旅行の時に乗った車両や駅を撮影するようになりました。ただ、悲しいかな私には芸術的センスが全くないため、写真はヘタクソに付きあくまでも記録的意味合いでの撮影で、『撮り鉄』としての技術力はほとんど身に付いておりません…。

また、Nゲージについては高校1年の時を最後に事実上終了してしまいました。

 

しかしまた、高校卒業後は免許を取ったという事もあってクルマ趣味に傾倒するようになり、『鉄道ファン』などの趣味誌をたまに買う以外は乗り鉄や硬券収集からも遠ざかるようになりますが、深名線の廃線が決定した1995年に再開、その後はドライブを兼ねて硬券収集のための駅巡りという事を行っていました。

 

残念ながらJR旅客6社で最後まで硬券乗車券が残っていた北海道も1999~2000年頃までに新規印刷を中止してしまったので硬券収集の道も閉ざされ、その後私は地元を出て札幌に移住して再び『鉄』から遠ざかり、クルマメインの趣味生活となっていました。その間2002年の正月だけ、久々に乗り鉄をした事がありますが。

 

本格的に乗り鉄を再開するようになったのは2008年になってからで、前年に結婚した私が新婚旅行の帰りの移動手段としてまだ一度も乗った事のなかった寝台特急北斗星に乗車しています。

(画像はイメージ)

その北斗星も2015年には遂に完全廃止となってしまい、元々北海道ばかりだった乗り鉄趣味も本州、四国、九州と全国各地を乗り歩くようになりました。元々国鉄を知る世代という事もあり、各地に残る国鉄型車両に乗る旅がメインとなっています。

 

というように、私の今までの鉄道趣味を振り返ってみましたが、残念ながら昨今の鉄道界、特にJRはサービスよりも効率至上主義にシフトしているようで、普通列車の車両もクロスシートからロングシートにシフトしているのはその典型といえましょう。長距離列車も運転区間が途中駅で分断されて直通客は乗り換えを余儀なくされたり、かつて全国各地を結んだ寝台列車も今やサンライズエクスプレスの他は『ななつ星』に代表される富裕層向けのクルーズトレインだけとなり、もはや鉄道の旅に旅情を求める事は酷な事なのかもしれません。昭和に造られた国鉄型車両もいよいよ最期の時を迎えようとしており、国鉄を知る世代の私にとっては魅力的な車両がまた一つ、また一つと失われていくのはとても悲しい事だと思います。我々昭和世代が鉄道を趣味的な視点で見る事はもはやタブーになってきている、そんな思いを抱いている次第であります。

 

そんなワケで、私のこれからの鉄道趣味は悲観的なモノにならざるを得ず、国鉄時代の車両が全て引退し、JR初期に「お客様本位」で造られた傑作車両(例を挙げるとJR北海道の721系電車)も全て引退すれば、リアルタイムで鉄道趣味を楽しむという事は終わりを迎える事になるでしょう。残念ながら令和の時代は国の交通政策が抜本的に変わらない限り、鉄道にとっては平成以上に厳しい時代である事が予想され、鉄道会社各社は今以上に効率重視の運営を強いられ、それに対応できない事業者は廃線など事業の縮小を余儀なくされるでしょう。

それでも、魅力ある路線や車両が生きているうちは、私は鉄道趣味を続けていきたいと思っています。

 

長文にお付き合い頂き、ありがとうございます。