己斐本町踏切 -②
アストラムラインの己斐延伸計画が、いよいよ少しずつですが、動き始めています。
西広島駅の完成イメージ図を見ても、すっかり変わってしまうようで。
そんな中、気になるのが西広島駅を挟む踏切2ヶ所だったりします。
周辺整備はかなり後になるのでしょうけれど、自由通路においては、準備工事も始まっていますし、あれよあれよと西広島駅周辺の風景は変わってしまうでしょう。
そんな中、気になるのは西広島駅の下り側にある己斐本町踏切の古い警報器なんですが。
2017(平成29)年10月4日の"己斐本町踏切 ー①"記事で、一度UPしていたりします。
警報器の位置関係を簡易図にしてみました。
当時から新しい警報器に取り換えとの噂がありましたが、未だに健在だったりします。
今回の写真を撮ったのは2月10日で、前回の記事からほぼ2年です。
ところがこの日、踏切にこんな看板が設置されていました。
2月14日から26日まで、夜間の通行止め。
何の工事をするんだろう。
線路の横には錆びたレールが置いてあります。
いよいよ、取り換え工事が行われるのだろうか?
それとも西広島駅建て替え前の、何らかの予備工事でしょうか。
この踏切の50m隣には、交通信号を挟んで広電・宮島線の踏切があり、また宮島街道へ直接出る唯一の道路でもあります。
自動車も自転車やバイクの他、歩行者も多い割に踏切はそこまで広くなく、朝夕に限らず開かずの踏切になることもしばしば。
大渋滞の原因の1つになっています。
少し昔には、山陽本線の高架化話しもありましたが、広島県・広島市や国鉄・JR西日本から具体的な計画へ進展すること無く、現在に至ってしまいました。
しかしこれから、西広島駅上にアストラムラインが高架で建設されるので、山陽本線の高架化はあり得なくなりました。
というか、そもそも県や市やJR西日本に、その気が無いから具体的な協議に入らなかったのでしょうけど。
そんなこんなで、未だに建っている古い警報器に、話しは戻ります。
装備されているのは警報燈のみですが、製造銘板には昭和55年5月・株式会社 三工社とあります。
普通形と記してある通り、少し前まではどこにでもある、ありふれた普通の警報燈でした。
交通信号機でも、今はLED化が進んでいて、いつの間にか電球式の信号機は見られなくなってしまいまたけど。
消費電力や寿命など、費用対効果を考えると、急速に新形へ置き換わるのも仕方がないでしょう。
その中で、こうしてこれまで残ってきた、己斐本町踏切の警報器。
塗装されることも無く、味わい深い錆が浮いていますけど。
その形状は梯子も立派な、標準型。
最近では、鉄道模型のストラクチャーでしか見られない、その美しさはまさに"ザ 踏切警報器"。
2月の通行止めで、どうなったのか気になりながはも、そのまま放置して2ヶ月。
西広島駅へ行くのに、この踏切は使わないので、わざわざ立ち寄らなくてはならないのですが。
新しいピカピカの警報器が建ってるのも、見たくなくて。
で、あまりにも気になるので、4月28日に行ってみました。
『あぁ、まだいた』
昭和の警報器は、まだそこに建っていました。
2月の通行止めは、踏切システムの改築で、ケーブルの移設などを行ったみたいです。
どうやら踏切の幅員を広げる、拡幅工事が行われるようで、
左側に建っている新形の警報器が、左へ移設されるみたいです。
国鉄時代の荷役線跡の鉄橋周辺も、掘り返されていました。
西広島駅の1番ホームと2番ホームの間も、掘り返されているので、アストラムラインの橋上駅舎や自由通路を建設するにあたり、信号・通信関係のケーブルを、全体的に移設したのかも知れません。
昭和時代の警報器は平成時代も働き、令和の時代もしばらくはまだ仕事をするようです。
平成最後、なにする?
あなたもスタンプをGETしよう | ゑ | あなたもスタンプをGETしよう |
ちょっと、遊び心で並べてみました。
平成最後の日はゴールデンウィーク中ですが、私は仕事中だったりします。
ホントは厳島神社へ御朱印賜りに行きたかったんですけど。
仕方ないので28日に行きました。