なつかしの列車シリーズ・上諏訪夜行421M
こんばんは。「平成最後の記事」となりそうです。昨日の仕事で書類の元号を「平成」から「令和」の訂正する作業をしてたら、連休になるので仕事納めの日のような気分になりました。そういえば自分のも直さなきゃって、帰宅してからPCとスマホの単語登録をしました。
今は夜行列車の存在自体が絶滅危惧種ですが、
‘80年代には各地区を結ぶ夜行列車が走り、数えるほどですが夜行普通列車も残っていました。
その中の一つ、多分一番利用したと思う、
新宿発上諏訪行きの「中央夜行」。
古くは「長野夜行」。
これを聞いてピンとくる人は当時の「山屋さん」か「鉄」だった人でしょう。
この列車のカオスっぷりは、今でも鮮明に憶えているし
その光景はもう見ることはないでしょう。
何がすごいってあなた、18きっぷ発売時期になる学校が長期休みになると、列車待ちの場所は新宿駅のコンコース「アルプスの広場」に待機列の場所が指定されたのでした。
新宿駅は工事を繰り返してかなり改造されて、「アルプスの広場」自体がなくなってしまいました。
だいたい今の「アルプスのトイレ」が設置されてるあたりです。
その待機列に発車の何時間も前から行列ができてました。おそらくほとんどが学生だと思います。
当然(?)長時間の待ち合わせということもあり、グループや大学の登山部らしき人たちはそこで酒盛りが始まります。
夜も更ける頃にはすでにできあがってる人多数。
発車時刻が0:01なので入線が23:45。
その頃に駅員の指示で列が大移動してホームから乗車。
使用車両は115系なので運がよければボックス席を取れますが、近郊型なので4人座るとかなり窮屈。
この列車、新宿を出ると立川まで停まりませんし、高尾から先は終電車。
始発の新宿駅の平日夜のラッシュは終電まで続くのがデフォ。
なので発車時間が近づくと多数の通勤客が乗り込み、車内は通路まで超満員。
想像だけでもすごい光景ですよ、お兄さん。
満員電車でボックス席ではあちこち宴会の続き。通路やドア付近は通勤客でぎゅう詰め。中には連結部で飲みすぎてうずくまっている人も。この辺がとてもカオスな列車だと思います。
八王子、高尾から先あたりになると大月までは通勤客がパラパラと降りていきます。
大月では20分ちょいの停車(当時)。
その時間を利用して駅前のコンビニに買い出しに行ったり、通勤客がいなくなった車内はドア付近の広い床や通路に新聞紙や寝袋を広げて横になる人もちらほら。
写真で見た「高度成長期の夜行急行の自由席」が再現されてるようでした。
これも今の時代から見れば、カオスな光景でしょう。
ちなみに最近、大月に行くことがあったのですが、深夜の食料調達に行ったコンビニは健在でした。
「夜行列車」となった列車はいくつか通過する駅はありますが、丹念に深夜の駅を停車しながら甲府へ。駅名の放送は夜中でもありました。
深夜3:00着の甲府では堂々58分の大休止。駅ビルのある都市とはいえ真夜中の駅を出ても営業してる店は全然ありません。
とは言っても、落ち着いたとこじゃないと眠れない体質なので体が触れるようなボックス席4人では眠れないので、ぶらぶらしたりして時間をもて余しつつ発車時間を待ってました。
こう書くとなかなかトンデモ列車のように思われますが、夜行列車といえば夜明けの景色。
日が長い夏は天気がよければ、夜明けの南アルプスや八ヶ岳の美しい山々を車窓に見るという贅沢な体験ができたのでした。
そしてキメは終点上諏訪。
私が乗った当時は足湯ではなくホーム温泉露天風呂という、肩まで浸かれるお風呂でした。
営業開始が朝6時。列車が着くのが5:57でしたから一番風呂に入ってのんびり。
スッキリした気分でその日の旅ができるというお金に変えられない贅沢が、たった18切符1枚2250円(当時)でできたのでした。
現在の時刻表を見ると、新宿発23:45の大月行き中央特快があります。高尾からの終電車で時刻も近いので、上諏訪夜行の遺伝子を持った列車とも思えるでしょう。
「終電を寝過ごすとそこはとんでもない場所」というニュース記事がありましたが、この当時なら上諏訪夜行なら甲府や上諏訪。大垣夜行なら名古屋をすぎた大垣。ホントにとんでもない場所です。寝過ごしてそこまで行ってしまう人もいたとか。
しかし「山屋さん」はすごいですよ。ヘロヘロに酔っ払っててもちゃんと未明の駅で降りて、がっつり登山をしてたのですから。
今回も読んでいただきありがとうございます。