小田急最後の吊り掛け駆動車といえば、2005年まで活躍した4000形です。
異端車として見られる面が多かった形式ですが、その歴史の中で暫定5両という特徴的な編成が存在しました。

1969年より、小田急では大型車の8両運転を開始することになりました。
当時はまだ大型車自体が少なく、実際に8両を組める形式が1800形と5000形しかありませんでした。

そこで浮上したのが、1800形と4000形の異形式併結です。
この少し前に、1800形のブレーキ方式をHSCに変更しており、併結が可能になっていました。
吊り掛け駆動同士というのも、なんとなく相性が良さそうです。

こうして4000形の3両を2本、それに1800形を組み合わせた8両編成が走り始めました。
しかし、この組成には問題があったようで、1973年に2回の脱線事故が発生し、急遽この組成は中止されることとなります。

問題なのは、ただ中止すれば済むという問題ではないことで、そのままでは大型車の8両編成が不足してしまうのです。
そこで、3両編成の4000形からクハを外し、他の3両編成と組み合わせた暫定5両が組成されました。
先頭車と中間車が向かい合うこの編成は、小田急の歴史上においてもかなりの珍編成です。

こうして暫定5両は7本が組成されましたが、7両もの大型車が一時休車となってしまい、他に影響が出てしまいました。
そこで、1974年から4000形の中間車を追加増備して5両化し、暫定5両を解消していきました。

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こうして3両と5両が存在するようになった4000形。
5両化には1900形等のABF車の機器が流用されましたが、この件がなければもう少し長生きしたのかもしれません。

4000形はその後の新性能化で4両と6両に整理され、組み替えが多い形式でした。
最後は小田急標準の両数になり、他形式との距離が近付いたのが印象的ですね。