4月8日
北上の中心部はその昔、黒沢尻と言われ北上駅も開業時は黒沢尻駅と名乗っていました。
ではその黒沢尻はどんな街だったかというと、奥州街道の宿場町でした。
その奥州街道はどこだったかというと駅前通りを進み郵便局のある交差点を右折したところ、
その先が黒沢尻宿の中心だったところになります。
今でも商店街になっている街並みを歩いているとその先に北上信金本店があります。
どうですこの佇まい、北海道に信金本店とは違うこじんまりとした信金本店。
北海道の信金本店は建物がでかすぎると思うところが多いよ。
それは横に置いておいて、この場所は黒沢尻宿の脇本陣があったところです。
この本店の前にある碑に記されています。
このあたりはかつては“新町(しんまち・現在の本通り1丁目)”と呼ばれ、
本町(ほんまち・現在の本通り2丁目)に接し市街地となった地域だとある。
その新町に三浦屋(いさば屋)が本町の井筒屋と共に脇本陣を務めました。
本陣がどこだったのかは、よくわからない。
北海道では考えられませんが本州では少し歩くと江戸時代はもちろん、
いきなり“延喜式”とかを由来とする物件とかが出てくる。
奥州街道もそうで、北海道に住んでいると実感がわきません。
ですが教科書でしか見た事のないものが現実に身近に存在するということが、
150年ほどの歴史しかない“北海道”に住む私にとっては新鮮です。
明日は大移動の日。
北上の中心部はその昔、黒沢尻と言われ北上駅も開業時は黒沢尻駅と名乗っていました。
ではその黒沢尻はどんな街だったかというと、奥州街道の宿場町でした。
その奥州街道はどこだったかというと駅前通りを進み郵便局のある交差点を右折したところ、
その先が黒沢尻宿の中心だったところになります。
今でも商店街になっている街並みを歩いているとその先に北上信金本店があります。
どうですこの佇まい、北海道に信金本店とは違うこじんまりとした信金本店。
北海道の信金本店は建物がでかすぎると思うところが多いよ。
それは横に置いておいて、この場所は黒沢尻宿の脇本陣があったところです。
この本店の前にある碑に記されています。
このあたりはかつては“新町(しんまち・現在の本通り1丁目)”と呼ばれ、
本町(ほんまち・現在の本通り2丁目)に接し市街地となった地域だとある。
その新町に三浦屋(いさば屋)が本町の井筒屋と共に脇本陣を務めました。
本陣がどこだったのかは、よくわからない。
北海道では考えられませんが本州では少し歩くと江戸時代はもちろん、
いきなり“延喜式”とかを由来とする物件とかが出てくる。
奥州街道もそうで、北海道に住んでいると実感がわきません。
ですが教科書でしか見た事のないものが現実に身近に存在するということが、
150年ほどの歴史しかない“北海道”に住む私にとっては新鮮です。
明日は大移動の日。