近郊区間の各停用として、1964年に登場した小田急2600形。
当時は優等列車を8両で運行する計画だったため、2600形は他形式との併結をあまり考えてはいない形式でした。

5両で登場した2600形は、ホームの延伸が完了した1967年に、本来の6両編成へと増強されました。
それに先立ち、1966年に2600形とABFM車の2両を繋いだ試運転が行われています。
8両での試運転となっている文献もありますが、時期から考えた場合、5両と2両を繋いだ7両編成だったものと思われます。

この試運転は、増加する8両に対応することを想定していたようですが、この時は見送りとなりました。
その後も2600形は単独運用で使われ、冷房化まで電気連結器の取り付けも行われませんでした。

2600形に大きな変化が起こったのが、1983年3月23日のダイヤ改正です。
登場から約19年、10両運用の増加に伴って、他形式との併結運転が開始されました。
1981年度までに冷房改造が終了し、電気連結器の取り付けが完了したことも開始の理由かと思われます。

当時はまだ、新宿方に6両、小田原方に4両が位置する逆10両がありましたが、不随車の位置関係でこの組成は許されませんでした。
また、後の解禁まで箱根登山線への直通も禁止で、条件の多い併結だったといえます。

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併結の解禁により、2600形は活躍の幅を広げていくこととなりました。
晩年の8両化で迷走したことで6両が減りましたが、箱根登山線への直通解禁後は、さらに活躍の幅を広げていきました。

元々は近郊区間の各停用だったはずが、時代に合わせて活躍の仕方を変えていくこととなった2600形。
最後まで最前線で活躍し、2004年に惜しまれつつ引退しました。