2019年4月3日水曜日

令和の始まりとともに生涯を終える、箱根登山鉄道モハ1形のこと

平成という時代が終わりを迎えようとしている。新たな元号が決まる一方で、今日、昭和25年生まれの老兵の引退が正式に決まった。
103-107の引退を告げるプレスリリース(箱根登山鉄道公式)

今から30年ほど前、小学校の図書室で出会った「トコトコ登山電車」という本が私とこの車両たちとの出会いだった。児童向けながら専門的な解説が加えられた同書は、私を箱根登山鉄道の虜にするには十分すぎる内容だった。小田原~湯本の3線軌条、半径30mの急曲線、それを克服するための水タンク。三度のスイッチバック、ロマンスカーの流れを組む塗色に、武骨なスタイル。そして吊り掛けモーター。わずか15㎞の中に様々な特徴が凝縮された同線は、まさに鉄道趣味の宝庫といった感じだった。

当時はまだ、自力で訪れるすべもなく、大学に進み上京し、自由と行動力を手にした私は、箱根にはなかなか向かわず、全国の国鉄型や、スイスの鉄道へと興味を移し、足が遠のいていた。

しかし、3000・3100形が投入され、いよいよ、心象風景ともいえる、モハ1形、2形の終わりが見えてくるにしたがって、本格的な記録に取り組もうという心持になってきた。地元に根差してコツコツを四季折々の姿を記録している先輩諸氏にすれば笑止千万といったところだろうが、所詮は個人の趣味。気の向くままに最後まで向き合いたい。

3月29日、この日は所用を終え、18時過ぎに箱根湯本に入った。狙いは観光客がすっかり投宿し、静かになった平日夜の乗車・録音である。

入生田には姿が見当たらず、湯本の留置線で休んでいたのは、108-104-106の組み合わせだったことから、営業中の期待をもって、湯本で待ち続けること1時間。塔ノ沢方から吊り掛けモーターを唸らせて109-107-103の3両がゆっくりと下山してきた。

折り返しの強羅行きに乗り込む。果たして、乗客は各車両に2~3名ほど。強羅で折り返し、1時間半、箱根湯本4番線に到着し、サンナナのこの日の運用が終わるとともに、私も箱根湯本を後にした。

翌朝、8時半過ぎから仕事を開始したサンナナを、この日はできる限り撮影することにした。狙いは編成全体を収められる大平台、上大平台、宮ノ下である。

機を織るかのように規則正しく峠を上下する古豪を心行くまで切り取る。桜が咲き誇り、鴬が鳴く桃源郷のような世界を吊り掛けがゆっくりを駆け抜けていく。

2019.3.30 大平台ー上大平台信
上大平台信


宮ノ下
 最後にもう一度、大平台。完全順光の中、上ってきたサンナナを待ち受ける。
ルーツをたどれば、1919年(大正8年)に落成したチキ1形が、1950年(昭和25年)に改造されたこのモハ1形。銘板には昭和25年 汽車会社とあるが、チキ1形登場から通算すれば、驚くべきことに今年で100歳を迎える。大正・昭和・平成を駆け抜け、令和の始まりとともにその生涯に幕を閉じることになるサンナナ。最後の雄姿を時間の限り追いかけたい。

※2019.4.16追記 109号車は4/15に出場し、緑一色に変更されました。

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