旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく「国鉄形」 常に目立つことなく隠れた力持ち【13】

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 民営化後、しばらくは大きな動きもなく、JR東日本のDE11形は高崎運転所に引き継がれた0番代が早々に廃車された以外は、品川や尾久などといった客車の配置がある運転区所で車両の入れ換え作業に使われました。

 21世紀に入ると、さすがのDE11形も老朽化が進んでいきます。

 若い頃は過酷な重労働で酷使され、民営化後は比較的楽な仕事になったといえども、寄る年波には勝てません。

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▲DE11の中で最も最後につくられた2000番代は、1979年に落成しており分割民営化の時点では車齢は10年に満たない、比較的新しい車両だった。民営化後も変わらず貨車の入換作業を中心に、時折車両メーカーから送り出される甲種車両輸送列車の先頭に立つこともあった。2000年代に入って車齢が30年を超えたことや、後継機がつくられていない実態から2009年から更新工事が施された。(2011年・新鶴見信号場 筆者撮影)

 

 貨物会社の2000番代は、兄貴分であるDE10形と同様に2000年代終わり頃から更新工事を受けることになります。更新工事は配管などの一部の部品を新品に交換し、耐用年数の延長をねらったものです。2000番代は製造から既に30年が経っていましたが、後継となるHD300形ハイブリッド機関車は1両あたりの値段が高く、そう簡単には増備できません。

 加えてHD300形は環境性能こそ優秀ですが、それは貨物駅構内で貨車の入換作業を専門とすることを前提とした性能でした。最高速度は僅か45km/hという速さは、機関車としては異例の低さです。この性能では本線を走ることはほとんどできません。無理して走らせようとするものなら、本線を保有する旅客会社から「やめてくれ」といわれてしまいます。

 このため、HD300形が常駐している駅から整備や点検のために所属する区所へと戻るときなどは、なんと営業運転の貨物列車に連結されて回送されることが前提となってしまいました。

 一方、2000番代はといえば駅構内での入換作業はもちろんですが、意外にも本線を走る貨物列車の先頭に立つこともあります。定期的に運転される列車ではありませんが、主に逗子駅から発送される鉄道車両を貨物列車として運ぶ「甲種車両輸送列車」では、この2000番代が先頭に立つことがあります。そのため、2000番代の後継としては、最高速度の低いHD300形ではその仕事を任せることは不可能でした。

 本線を電気機関車や他の旅客列車並みの速度で走ることができる性能をもたせた新型ディーゼル機関車の開発が、2010年代に入ってから始まりました。本線用としては既にDE200形がありました。酷寒の地・北海道で走ることを前提に開発された電気式ディーゼル機関車でした。DF200形はあくまで本線用の性能と形状でした。

 DE11形やDE10形の後継には、本線を走ることができる性能だけではなく、線路構造が弱い支線区や、貨物駅構内で入換作業をこなせる、いわばオールラウンドプレイヤーが求められました。そこで開発が始められたのがDD200形です。

 DD200形は国鉄から引き継いだDE10形やDE11形、そしてDD51形を置き換える新型ディーゼル機関車として期待されていますが、様々な技術的な課題を解決するために、量産化はいましばらく先になるようです。

 期待される後輩のDD200形が課題解決のために、量産まではいましばらく時間が必要な間、DE11形や兄貴分のDE10形の活躍はいましばらく続くと思われます。とはいえ、すでに誕生から40年以上、中には50年近くも経った車両もいるので、あまり時間に余裕があるとはいえません。