広島 115系 最後の春隣 -②
2月も中旬になり、一部の人には既に花粉症が発症しているらしいですが。
ここへきて冬らしい寒さが、身にしみる数日です。
さて、今回の写真は全て、その寒さが始まった2月9日に撮影しました。
撮影場所は、全て草津の連続急カーブ区間です。
この日は上空5000mに寒気が降りて来て、更に1500m空域にも寒気が流れ込み、この冬1番の冷え込みとなりました。
北海道や東日本では大雪となったようですが、広島でも午前中には雪予報が出ていたので、今度こそととの思いがあったのですけど。
寒いばかりで、降るのは雨。
その雨も10時前には上がりました。
そう、ただただムダに寒いだけの1日となりましたが、入った気合いは抜けなかったので、それなりに枚数は撮りました。
冒頭の3枚は中半強引に撮った写真ですが、久々の8両編成で、下り側先頭がL-08編成で後ろはL-16編成でした。
草津踏切で待っていて来たのはR-02編成で、ウネウネとした道は西国街道になります。
そしてお昼頃に岩国から帰って来たR-02編成を、参道踏切から撮りました。
同じ場所で次に捉えたのはL-03編成です。
小泉酒造の漆喰壁をバックに撮ってみようかな?と思って、失敗した写真です。
ラストは最期の小田原城主・北条氏直公の墓がある、海蔵寺をバックに入れて撮ってみました。
右側の灰色のコンクリート柱が気になりますが、架線柱とゴミ集積所のどちらにするかの選択の結果、架線柱を選びました(笑)
2月16日は天気図記念日。
1883(明治16)年の今日、ドイツ人の気象学者エリヴィン・クニッピングの指導のもと、7色刷りの日本初の天気図が試作されました。
『天気図とは、さまざまな規模の気象現象を把握するために、地図上に天気、気圧、等圧面における高度、気温、湿数、渦度などの値を、等値線その他の形で記入した図のことである』ーウィキペディアより。
正式な発行を始めたのは同年3月1日からで、新聞紙でも掲載されました。
天気図は1日1回発行され、8月23日からは新橋駅と横浜駅で掲示されました。
尚、初めて天気図を作った人は、ドイツの気象学者のハインリヒ・ブランデスという人です。
甚大な被害を出した1783年3月の嵐(ストーム)について、科学的な理解と対策を考査するために、ヨーロッパ大陸上の気圧や気温、風の分布を示す地図を作成するため、観測データを郵送等で集めました。
試行錯誤の上、1820年に完成してドイツ語版と英語版が発表されました。
さて、2月9日の天気ですが、予報はこうだったんですよ。
雪中の115系・・・・もう諦めるしかないんかなぁ。
今回の写真は撮るタイミングでR-02編成ばかりになってしまってますが、2月9日は別の場所でも撮影していて・・・・でもヘッドマーク付きのL-21編成は、この日は会えませんでした。
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ゑ |
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