追憶の115系・是生滅法
前回の"広島 115系 最後の初春 -①"でUPしていた写真ですが、40年ぶりに115系を撮った場所でした。
この春のダイヤ改正で、広島から消えて行く115系・・・・そこで思い立ったのが、今回の企画です。
ってか、企画って言うほどのものでもないカモ知れませんが、ちょっとこだわってみたかったんですよ。
この写真は"115系 広島からついに全廃"でUPした、広島草津八幡宮の参道踏切での"特急富士・はやぶさ"と115系です。
既にブログでUPしている昔の写真と同じ場所で、最後の115系を撮ってみたいという遊びなんですけど、少しお付き合い下さい。
1975(昭和50)年に撮影した581系と同じ場所で撮ってみました。
まずは古江駅付近の哲学堂前で撮影した、上りの臨時特急列車の夕月です。
44年前・・・・ずいぶん危険な小学生だったようで(爆)
架線柱の奥の信号機が付いてる架線柱が、線路の内側に見えますね。
小新開踏切から、信号機の付く架線柱が内側になるように撮ってみました。
奥は草津踏切で、レンズの倍率が違うのと、撮影場所と全く同じ位置に立てないので、同じ写真にはなりませんが。
1番近い場所へ、当時は無かった金網フェンスの外から撮りました。
続いては古江駅隣接の古江踏切です。
狙い過ぎて、ちょっとシャッターのタイミングが遅れてしまいました。
この写真は、44年前と全く同じ位置に立っています。
全く同じ位置なのに、シャッタータイミング以外にも少し画角がちがうのは、レンズの倍率もですけど身長も違うから。
哲学堂前での写真では凸形のビルがキーポイントでしたが、古江踏切ではこのビルです。
そうそう、44年前には後ろのビルやマンションは、ありませんでしたわぁ。
そして永遠のスター"特急つばめ"で、この写真も古江踏切です。
実際は警報器・遮断機の後ろから、もう少しだけ線路寄りで撮っていますが、今はそんな位置で撮れませんよ(怖)
この写真は雰囲気重視のため、トリミングしています。
バックの景色があまりにも違うので、ホントに同じ場所かと目を疑いますけど。
目印はこのポストです。
あとは上の写真も含めて4枚で、樹木などから雰囲気を感じ取っていただければ。
今回の企画のラストは、白黒写真ですが同じく"特急つばめ"です。
ここも周囲の風景は一変していますが、残念なことにこの写真は同じ場所で撮ることができません。
実際は約15m程度、バックしないといけないのですが、現在は私有地になってしまっています。
581系のほとりに写ってる勾配標と架線柱がコレです。
私が高校生の頃までかなぁ~、左側の建物たちは一切無くて、広い公園でした。
線路と公園の境界が無かったので、ここでは115系3000番台のデビュー1番列車も撮った、思い出の場所でもあります。
因みに勾配標の少し先が古江踏切です。
石垣とブロック塀は44年前から変わりませんが、建物は変わってしまったり、空き地になっていたり。
空き地から奥に見える、高い石垣の上も、以前は個人宅の森でしたが、現在は何やら工場が行われていて、何も無くなってしまっています。
古江踏切の隣がこの小新開踏切で、広電・宮島線にも当然ながら踏切があります。
古江踏切の通りと小新開踏切の通りの間に、古江駅があり、小新開踏切の次の踏切が、草津踏切になります。
今回は、ちょっと趣向が違った115系の写真となってしまいましたが、春のダイヤ改正までには、もう1度ぐらいはやってみようかと考えています。
1月26日は文化財防火デー。
文化財防火デーの制定は,昭和24年1月26日に,現存する世界最古の木造建造物である法隆寺(奈良県斑鳩町)の金堂が炎上し,壁画が焼損したことに基づいています。
この事件は国民に強い衝撃を与え,火災など災害による文化財保護の危機を深く憂慮する世論が高まり,翌昭和25年に文化財保護の統括的法律として文化財保護法が制定されました。
その後,昭和29年11月3日に法隆寺金堂の修理事業が竣工し,文化財保護行政も確立するとともに,文化財保護思想の一層の強化徹底を図るために普及啓発事業が行われるようになりました。
その一環として,法隆寺金堂の焼損した日であること,1月と2月が1年のうちで最も火災が発生しやすい時期であることから,昭和30年に,当時の文化財保護委員会(現在の文化庁)と国家消防本部(現在の消防庁)が1月26日を「文化財防火デー」と定め,文化財を火災,震災その他の災害から守るとともに,全国的に文化財防火運動を展開し,国民一般の文化財愛護に関する意識の高揚を図っています。
昭和30年の第1回文化財防火デー以来,毎年1月26日を中心に,文化庁,消防庁,都道府県・市区町村教育委員会,消防署,文化財所有者,地域住民等が連携・協力して,全国で文化財防火運動を展開しています。