EF210・広島 2019 -① | 安芸もみじ / Historys, Trains, Townbikes - Hiroshima JAPAN

EF210・広島 2019 -①


久々の機関車のUPです。

時間帯が固定・・・・115系の写真を撮る時にやって来る貨物列車しか撮っていないので、EF210しか撮っていません。

けど、機関車です、JR貨物です。

この伝えたい気持ち、きっと解らないと思う。


紅茶花伝を並べてみましたが、西日本豪雨の被災後、JRの線路も国道も高速道路も、広島県外とどこにも繋がっていなかった時はもちろんなんですが。

道路が繋がった後も、全ての物資が広島市内へ届くようになった訳ではなく、全てが普段の生活に戻ったのは2018(平成30)年9月30日の山陽本線全線復旧による、貨物列車の運行再開以降でした。

生活に困るような物資は優先的に入って来ていましたが、どこでも当たり前に売ってるはずの些細な・・・・それまで有って当然な物資が無かった時期もあったなぁ~と、数々の中からこれが一番身近かな?と、紅茶花伝を代表に選んでみました。

生活には困らないんだけど、あぁアレが欲しいなぁ~といった些細なモノが、ホントいろいろと無かった3ヶ月だったんですよ。



まずは、東高須駅隣接の庚午踏切付近での写真から。

下り列車です。

機関車の写真の撮影再開のトップバッターは、EF210-1号機・・・・トップナンバーが現れてくれました。



撮影日は、115系の時も言ったのですが、12月3だと言うのに暖かかった頃、18日です。

この頃は厚着をすると、汗が吹き出るので、フリースに薄手のジャンバーで出かけました。

上り列車を牽引する124号機と、下り列車の138号機です。



これは遊びで撮りました。

写る筈もない夜明け前です。

何号機と何号機かは全く判りませんけど、ヘッドライトが好きだなぁ~って思ったので、UPしてみました。



さて、ここからは真面目な写真ですよ。

撮影は雨が降った12月22日で、草津踏切です。

115系の時には言いませんでしたけど、当初はこんなに降るなんて、思ってなかったんですよねぇ。



なので、結構ビショビショになってしまった1時間でした。

草津踏切での最初の2枚は、下り列車を牽引する11号機。

そしてこの2枚は、上り列車を牽引する131号機です。



続いて現れたのは、300番台でした。

その後も時折、同じ時間帯で撮りに出ているのですが、新塗装はJR貨物フェスティバルで見ただけで、まだ出会えていません。

おぉそうそう、この300番台は303号機でした。




正面がちの写真を意識していたら、何か失敗しちまって、通学路の標識がっ・・・・そっかぁ、この位置だとこうなるんかぁ。

114号機は撮りましたけど。

6号機もどうせ標識と被るので、接近した写真は撮りませんでした。



そして今回の記事のラストは、小雪の舞う12月29日です。

高須駅上りホームからの撮影で、1号機でした。

いやぁ、やっぱし機関車っていいですよね。


今日は、広島市では成人祭です。

多分、ほとんどの市町村では今日なのではないかな?と思います。

今年の対象者は1998(平成10)年4月2日~1999(平成11)年4月1日生れの人。

住民基本台帳に記載がある人は外国人も対象。

場所は西区商工センターの広島サンプラザホールで11時45分から。

10時からサンプラザのサブホールで各種イベントが行われ11時に開場、12時半に終了だそうです。

20歳かぁ・・・・私にもあったねぇ~。

30年以上前のお話しです。

そうそう、去年の成人の日では詐欺事件がありましたねぇ。

あのね、私が成人式の時、広島市からハガキが来なかったのよ。

だいたいが、12月中旬に発送するらしいんだけど、我が家には届かなくってさ。

どこにも転居してなくて、住民票なんか動いてないのにね。

今みたいにケータイやスマホなどがあった時代じゃなく、パソコンでさえ普及してなくてインターネットなんか存在しなかった時代。

自宅にファックスがあると『おぉっ!スゲェ~』なんて時代でした。

そんな時代に、案内ハガキが来なかっただけで、軽いショックを受けたのも、思い出だったりします。

それがね、当日に予約していた着物が無いなんて・・・・しかも女性たちですよ。

一生に一度の思い出なのにね。

あの時はたくさんの支援があって、被害者さんたちには救援の手が差しのべられましたけど。

それでも成人式の思い出は"無かった"になってしまいます。

今年は、そんな悲しい思いをする人なく、無事に幸せな思い出を残せますよう願うばかりです。

私?

うん、結局その日はバイトしてました。

その頃はホテルマンだったんですが、ちょうど休みでもあったんですけど、中高生の頃にバイトしていた写真スタジオで、お手伝いしました。

同級生たちとはその後、遊びに出かけたんですけどね。

家では・・・・。

長く読んで頂いている方には判ると思いますが、そんなことで祝の宴が催されるような所ではありませんよ。

従姉の結婚式だって、連絡が無いレベルの家ですもの。

だからと言って、思い出的には悲しい思い出ではなくて、充実した1日でした。

だって、写真が趣味の人間が、成人の日に写真スタジオでバイトしてるんですよ。

楽しくなかろうはずが無いじゃん(笑)

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