今回は山陽本線を快走するキハ47の5連をUPします。
前回の記事"
広島 115系 最後の冬 -③"を踏まえての、連続写真です。
撮影場所は草津踏切と草津八幡宮の参道踏切です。



冒頭の写真は高須駅の緩いカーブを立ち上がって、草津踏切へ直線を向かって来るキハ47。
撮影日は雨の降った12月22日で、普段はここで離合しないRedWing-227系が、少し遅れていたので、彩りの添えてくれました。
この3枚の真ン中の写真は、時折撮影する哲学堂前辺りです。


長い直線を駆けて来た列車は、草津踏切から連続カーブへと突入します。
ちょっと通学路の標識が邪魔になってしまいましたが、このカーブの通過中の位置を、草津八幡宮の参道踏切から撮った同じ位置の写真と並べてみました。
参道踏切での写真は12月30日の撮影です。


カーブを抜けて次の逆カーブへ突入する短い間に、鷺森神社の横を通過し、写真の奥側の踏切は北条氏直(ほうじょううじなお)公の墓がある海蔵寺への参道に・・・・。
隣の手前の踏切は幸神社から草津八幡宮への裏参道と、史跡を3つすり抜けます。
私が撮影している参道踏切は、丁度カーブの頂点に位置し、毛利氏が広島から萩へ転封される際に、萩へ同伴しなかった重臣の小泉家が厳島神社の酒造所として創業した"小泉酒造"があります。



草津踏切から2つカーブをクリアしたら、すぐに3つ目の逆カーブへ突入します。
この先は新井口駅となりますが、その前に再び左カーブが待っています。
線路沿いには広電荒手車庫が広がります。

以前は鷺森神社付近に実家があったので、この連続カーブ区間で中学生の頃に、153系やEF58の写真も撮りました。
約40年前の頃の話しですが、私にとって115系の最後を撮るのに相応しい場所なんですが、同じ時間帯でキハも来るので、こうして連続写真で紹介してみました。
115系と共にキハ40系も撮りますので、またUPしますね。

1月9日は風邪の日。
風邪の語原は"風の邪気"の略語です。
世の中の全ての物には聖(ひじり)なるモノと邪(よこしま)なるモノが混在しており、邪なモノが存在しない状態を清(すが)と呼びます。
今でも"清々しい"と言うことばが残っていると同様に、数ある○邪の内"風邪"と言うことばのみが残りました。
科学がまだ未発達だった古代において、目に見えない細菌やウィルスなどは、まさに得体の知れない魔物だったことでしょう。
現代でも、原因が判明しているのに、治療方法が無い病気は、まさに死神と思えます。
さて、今日が風邪の日となった理由ですが、それは江戸時代まで遡ります。
1795(寛政7)年1月9日、当時の横綱だった谷風梶之助(たにかぜかじのすけ)が、流感で現役のまま亡くなりました。
流感とは流行性感冒の略語で、感冒とは風邪のことです。
そもそも医学的には風邪(感冒)という正式な病名は無く、ウィルスによって引き起こされる様々な症状を一般に総称して風邪(感冒)と呼ばれています。
なので、一昔前まではインフルエンザも風邪(感冒)の部類に含まれていました。
流行性感冒とは、インフルエンザウイルスによって起こる病気で、今では風邪(感冒)とは分離されて独立した感染症の1つとなっています。
突然の発熱,頭痛,悪寒,だるさ,咳,筋肉痛などがあり,上気道,鼻腔,結膜などに炎症が起こります。
横綱・谷風が亡くなったのはインフルエンザですが、江戸時代には流行性の風邪とされていました。
天下無敵だった常勝横綱でしたが、亡くなる10年ほど前にインフルエンザが流行している折、「土俵上でわしを倒すことはできない。倒れるのは風邪にかかった時くらいだ」と豪語していました。
実際には風邪を引いて発熱があっても、土俵の上では無敵だったようですが、谷風が最後に患ったのはインフルエンザでした。
どんなに強い人間でも、流行病には勝てないという現実を鑑み、また風邪は万病の元とも言われることから、風邪が流行るこの季節に谷風の命日にあやかって記念日として制定されました。
さて、その風邪なんですが、ホントムカつくんですよねぇ。
春になると花粉症にかかるんですが、風邪を引いちまうと、春でもないのにくしゃみが連発するんですよ。
花粉症でもないのに、何でくしゃみをいっぱいせんといけんのんか、意味わからん。
人生損した気分になります。
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